強くありたいと思ったわけではない

「君の態度やユーモアのセンスは、前の恋人を思い出させる。時々似てるって思う」とHに言われる。「それって喜んでいいとこ?」「もちろんだよ!」嬉しいようにも思うけれど、そうでもない気もする。Hは男性でゲイ。つまりは前の恋人は男性である。京都にいるという、Hの私に似た元カレのことを、しばし考える。

2つ前の会社の人たちと、オンライン飲み会。1対1で会うほど親しい人もいないけれど、数年おきにそれぞれ近況を伝え合う間柄だ。いつの間にか出会ってから10年が経っている。この最中の出来事やそれぞれの気持ちを、少しずつ話す。瞬時にタイポを見つけ出す校正力はたぶんあの会社で強化された技で、もう離れてしまった業界だけれど、今でも役に立っている。

通勤定期の払い戻しのため、駅の窓口に並ぶこと1時間半。ビニールに囲われた向こう側の係の方、何時間も何人もさばき続けてさぞかしお疲れだろうに、記入用紙を前に「ここよし、よし、よし、全部よし」と指差し確認、しごく丁寧な対応に頭が下がる。心からの「ありがとうございます、おつかれさまです」が口から出た。

今の仕事では随一の、大変な1週間だった。明日からも痺れるような1週間だろう。

 

仮住まいの日々

コロナに関する言説を日々たくさん読む。名も知らぬ人のTwitterのつぶやきから新聞記事まで。そのなかでもっとも心にしっくりきたのが数日前の斎藤環先生のnote。

note.com

わたしは頭が足りないので5割くらいしか理解できていないかもしれないのだけれど、全世界がコロナ時間に強制同期させられている、という件に、もやもやした思いの一部が縁どられた気がした。

雑学メモ:ワインオープナーがなくてコルクが抜けない時、瓶の口の周りをライターの火で温めると、コルクが出てくるらしい。あるいは、ワイン瓶の底に靴をはめて、瓶とともに靴を壁に何度かうちつけると、コルクは出てくるらしい。覚えておきたい。

日曜日のテレビ番組は、フジテレビの『ボクらの時代』と『ザ・ノンフィクション』を毎週録画している。今日はどちらもとてもよい回だった。『ボクらの時代』のゲストはオアシズのふたり(光浦靖子大久保佳代子)といとうあさこ。光浦さんの名言は早々にここにまとめられていた。多くのいい齢の独身男女が、テレビの前でぶんぶん首を縦振りしてたことと思う。(独身男女はこの番組、観ないだろうか)『ザ・ノンフィクション』は先週に引き続き太田先生の後編であった。

ありのままの

まつ毛サロンに行かれなくなって3ヶ月。数年ぶりに自分の地まつ毛と向き合って、思い出した。なぜまつ毛パーマをはじめたかって、とってもまっすぐだったからだ。寸分の巻きもなくまっすぐと、斜め下方に向かって伸びている。この垂直ぶりが、ずっとかわいげがないと感じていただけれど、これはこれで、悪くはないかな、と今は思う。髪の毛も少しずつ、ありのままの様相。こちらもゆるぎなく、まっすぐ。

Yちゃんのインスタを見ていたら、少人数とはいえ結構人と会っている。彼女の家からさほど遠くはないかもしれないが、頻繁に外出している。意外といけるのか?という気持ちになる。

家から出ていないのに、fitbitの歩数が1日2,000歩をカウントしている。Dさんは30歩だと言っていた。これは多動の傾向があると見立てたTさんの正しさの証明なのかしら。

遠くに在りて

画面越しに赤が似合うと言われたので、調子に乗って赤いワンピースをゾゾタウンでポチる。しかし、特にこれを着て会う予定はない。ただいろいろ想像するのは楽しい。依頼されたあるオンラインセミナーを実施するため朝10時半からスタンバイしていたが、5分前になっても、一人もログインしてこない。録音されるし、参加者が何人だろうと費用は申し受けるので、実施はする予定だったけれど、まさかの0人。ゼロ。画面の向こうの静寂に気づかぬふりをして、演じ続ける30分。最後は、ご質問はありますか?(沈黙)ないようですね、と締めてみたけれど、果たして必要な芝居だったかは、疑問。

また家で働く1週間がはじまる。

居酒屋が恋しい

15分のYouTube筋トレの後に、2キロの外ラン。マスクをつけてのランニングは、気温が上がってくると苦しい。

Netflixで『ダイナスティ』を2話ほど観る。この富豪一族の物語を惰性で観てしまっているけれど、出てくる女たちはなべてビッチで観ていて気持ちはよろしくない。感情むき出しでつかみ合うキャットファイトは爽快ではある。執事のアンダースの、使用人らしからぬ高貴さは好き。

夜はHたちとオンライン飲み会。つまみのテーマは「居酒屋」にしようと事前に打ち合わせたものの、蓋をあければ、「”日本の”居酒屋」は私だけだった。他の面々は、手作りしらすピザ、サルシッチャのクリームパスタ、キャロットラペ、赤ワイン…とスタイリッシュなバル風であった。私はといえば、ちくわとアボガドの和え物、もずく、コロッケ(購入品)、トマトと塩昆布のサラダ、缶チューハイキンミヤ焼酎。図らずも、飲みへのスタンスの違いが画面越しに浮き彫りになった夜。何にせよ、ひさびさに宴卓を囲めた感じがして楽しかった。嬉しくなって人に画像を送りつける。

愛するものと共に生きる

今日の『ザ・ノンフィクション』は、獣医師の太田快作先生の日々を追いかけていた。1LDKのお住まいで11匹の猫と愛犬と生活する様はなかなか変わっていて、人間と家庭生活を共にするにはハードルが高そうだけど、さすが獣医師の先生、限られた居住空間の多頭飼いなのに、すっきりしていて動物たちも快適そう。愛犬の花子ちゃんが自分のすべてだと言い切り、その動物愛護や治療に関する姿勢には揺るぎがない。

先生がボランティアの方々に止められても身勝手な飼い主を怒鳴りつけるところでは、泣けてきた。動物を心から愛していて、信念を持って彼らのために身を投じている。こんな人が同世代の日本にいることに感動する。

「埼玉の獣医師が1人1頭の去勢手術を引き受ければ、ボランティアの方が東京まできて1日10頭こなす必要はなくなる」というような先生の言葉。家族として動物を迎えることとは、動物と人間が共に生きるとは。膝で眠る猫を愛でながら、考える。

来週は、後編。

食べ物のことばかりを考える

ゆとり世代の部下が、目を離すとサービス残業に明け暮れることが、目下の悩みです。残業代は100%申請通りに払われるし、残業時間が20時間を超える社員すら片手に数えるほどしかいない平和な会社にいながら、なぜサービス残業なんてするのかしら。サービス残業なんて、平成の時代から既に死語だと思っていたけど、とYさんに問うと、「きっと成功体験があるんだろうね。遮二無二働いたら褒められた、みたいなさ」とのこと。なるほど。

テレビで流れてきた音楽を耳にして、「『池袋ウエストゲートパーク』だ!」と即座に20年前のドラマを思い出す。チャイコフスキーの弦楽セレナーデ。音楽の使い方もとっても印象的なドラマだった。


近頃はインスタグラムやYouTubeで料理のレシピばかりを見ている。

いつもよりもたくさんの人が色々なレシピをアップしていて、例えばナポリタンひとつをとっても4つも5つも出てくる。美味しそうで楽しくて仕方ない。でもその中から自分が実際に作ったのは、1ヶ月の在宅勤務期間でまだ2つだけ。

みんなのように料理の腕のアップグレードに邁進するわけではないけれど、気がつくと食べ物のことばかりを考えている。恋人のことよりも、もっとずっと考えている。

レシピを見ながら、楽しかった数々のレストランや飲み屋のことを、まだ見ぬ未来の楽しみな食卓のことを、たくさん思う。

気の置けない人たちと楽しく食べるご飯は、私の日常のなかでとってもプライオリティの高いものだった。