2025/12/26金曜日。
私は今年最後の出勤日だったので、終業後にSくん、Fちゃん、Tくんを連れて鳥貴族へ。ドラマ「じゃああんたが作ってみろよ」のとり天の回を観て以来、どうしてもとり天を食べたかったのである。
“連れて“としたのだけれど、本当は、Sくんを中心に行きますか?ということになって、みんなで行った。3人とはひとまわり以上年齢が違うので、なんとなく”連れて”という雰囲気になってしまう。
念願のとり天は、鳥貴族では梅ソースがついてくるのだけれど、ちからこぶを頼むと柚子胡椒がついてくるので、そちらも頼んで、これで念願のとり天×柚子胡椒が完成。イメージしていたカツオのとり天とは少し違ったけれど、とりあえず満たされる。
ドラマの話、アイドルの話、わたし以外の若者たちの出会いの場がないという話。
SくんやTくんのような、一般企業の勤め人ではなく、いわゆるサブカルどっぷりで無機質な感じのする男性は自分が勤めている業界ではこれまで何人も見たことがあって、平均的な一般男性よりは結婚のタイミングがなべて遅いことも確かだが、それを求めているならそのままでだいじょうぶ、皆アラフォーくらいで結婚していきますよ(ダレ目線)
「払いますよー次から誘えないじゃないですかー」と言われたけれど、ごちそうする。
こういうときの振る舞いの正解がいまだに分からない。
年齢が10以上離れていて同じ会社に勤務しているので収入の違いは明らかであり、そんな状況で(しかも鳥貴族で)きっちり割り勘というのは、わたしが20代~30代半ばくらいの頃にはほぼなかった。遠慮はしてみせるものの、年長者が支払って当然という空気があった。
年が離れているとはいえ定期的に飲みにいっているプライベートの友人関係、ということであればまた話は変わってくるけれど、仕事関係の年長者に支払ってもらうことに罪悪感を抱えたことも、そんなにない。
しかし、今の時代の感覚はどうなんだろう?
若い頃のわたしに奢ってくださったのはバブル世代の方々が多く、わたしたちはその”薫陶を受け”てしまった最後の世代かもしれないと思う。
つまり、当時のバブル世代の方々の齢に近くなっても、当時ほど企業の待遇も社会的状況もよくないのにも関わらず、大盤振る舞いをするバブルの精神だけを継いでしまったのでは、と。
余剰も余裕もないのに気前いいってどうなんだ?わたしがこういうときに奢ったら、今後この人たちも、先立つものもないのに後輩や部下にごちそうする悪循環になりゃしまいか?これは絶つべき悪癖なのではないか?
と、鳥貴族のレジ前でしばし考える年末。
(コース1万円のフレンチとかじゃないんだから、おごれるんだったら深く考えずおごっとけ、とも思います)
2025/12/27土曜日。
9連休のはじまり。高齢者施設にいる祖母を訪ねる。
祖母97歳。少し前から食事を摂らなくなり栄養ゼリーの摂取だけで命を繋いでおり、こないだまでは椅子に座っている時間もあったのに、ここのところは一日中ベッドに横になっていて、眠っている時間がだいぶ増えたという。
それを聞いて続々と祖母を訪ねた従兄弟とその家族、義理の姉は、やせ細って一層小さくなった祖母を見て、一様に泣いていたらしい。
思い出すのは2024年の元日。
その頃の祖母はまだ、正月には実家で親族に会うために、高齢者施設から出かけてくることができていた。皆で正月のご馳走を囲み、数時間を賑やかに過ごしたその帰り道、母と姪と祖母とわたしの4人で母の運転する車に乗っていた時に、祖母がぎゅっとわたしの手を握り、「たのしかったねえ。うれしいねえ」とにこにことわたしに笑いかけた。
それはちょうど車が高台に差し掛かったときで、沈みはじめた夕陽の光が車に差し込んで、その光に照らされた祖母の笑顔はなんだかとても晴れやかで神々しく、わたしは「祖母と過ごせるのはこれで最後かもしれない」となぜかふいに思ったのだ。そしてその考えに、途端に泣けてきたのを隠すために、「ほら、ここから富士山が見えるよ。わかる?あそこだよ、富士山だよ」と車外の景色を見るように、祖母を促した。
緊急地震速報が大きく車中に鳴り響いたのもその時だった。能登半島地震だった。母と姪とわたしは聴きなれないビープ音に驚いたけれど、祖母は聞こえたのかどうなのか、依然にこにこと笑っていた。
しかし実際はその後も祖母は生存していて、2025年の元旦も親族の集いに参加したわけなのだけれど。
あれ以来ゆっくりと、確かに祖母は弱っていっていた。
そして今日。横になって少し苦しそうに目を閉じて、怒っているような、あるいは悪い夢を見ているような、そんな祖母の骨と皮ばかりになった手を握ったら、うっすらと目を開けてわたしを見たけれど、小さな声で「ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返した。たぶん施設の職員だと思っている。母が「A子が来たわよ、分かる?」と大きな声で呼びかけると、祖母は「はい、わたしのかわいいかわいい孫だ」と目を閉じたまま言った。
わたしは泣かなかった。
2025/12/28日曜日。
HとMくんカップルと、Mちゃんとディナー。お店のシェフがワンオペで切り盛りする創作イタリアンで、前からきてみたかったのだけれど、シェフの感じがどうもHに合わなかったらしく、「なんであんなにテンション高いのかしら?」「せかせかしてる」「落ち着いてほしい」みたいなことを、英語とスペイン語でMくんにこそこそ耳打ちするH。
いやいや、言語が分からなくてもなんとなくお前の言ってることは伝わるぞ!
Eさんが「Hって性格悪いよね」とあっけらかんと言っていたけれど、そういうとこだぞ!と思う。
わたしは性格が悪い人のスパイシーな言動を敢えて興味深く観察し吸い寄せられてしまうタイプなので、そんなHの振る舞いは、今更さほどHとの付き合いに影響はしない。
しかし、シェフは効率よく立ち回ろうとしているだけで、決して接客態度が悪いわけではなくただHの好みじゃないだけ、料理も美味しかったので、Hよ、細かいことにカリカリせず勘弁してあげてくれよ、大人だろ、と不快には思う。友と囲む食事の席にマイナスな感情や空気は不必要に持ち込みたくない。まあ、大人になればなるほど、人は悪いところが肥大していくものではあるけれど…
次会って、このお店の悪口をHが言ったらば、まあひとことふたこと言ってやろう。
2025/12/29月曜日。
母と、父の墓参り。
ちょうど父と二つ前の愛猫は同じ時期に亡くなったので、愛猫のお骨もついでに入れてしまったお墓である。(霊園の許可済み)なので、愛猫に会いにいく気持ちもある。
もうひとつ言うと、叔母から母に伝えられた家紋が逆版だったために、家紋が反転して墓石に彫られてしまったお墓である。(いいのか?)
甥と姪がまだ小さい頃、今日と同じように年末に、母が甥と姪と連れ立って墓参りに来たところ、甥と姪が「よいお年を~」と墓に声がけして去ったらしい。という話を、ここで聞くのは恐らく3回目くらい。
2025/12/30火曜日。
母は、かれこれ5年くらい通っていた美容院の担当スタイリストと、そのカット・パーマ技術がまったく気に入っていなかった。
あれこれ文句を言い続ける割には一向に別の美容院を試す様子もなかったのだけれど、ここ数日とみに声高にヘアカットの不具合を主張しているので、休日の暇にあかせて、ホットペッパービューティーに母のアカウントをつくり、近所の美容院で母のような高齢者でも通えそうな店を検索し、「そんなに気軽に美容院を替えてもいいのかしら」「また合わなかったらどうしよう」と逡巡する母をよそに即日予約し、「気に入らなかったらまた違うところに行けばいいんだから!とりあえず行っておいで!」と送り出した。
そして1時間と少しののち、
「いや~カットが違うだけでこんなに違うものなのね~」
と、生き生きとした顔で母が帰宅した。
たしかにショートカットの襟足のラインが以前よりも首に沿うように揃っていて、トップもふうわりしていた。
自宅でのスタイリングの仕方、今後の方向性についてもスタイリストに色々教わったと嬉々として話す母を眺めながら、満足できる施術を施されていないのにもかかわらず美容院を5年も替えなかったのは、母の老いがゆえなのだ、ということをはっきりと認識した。
人は齢をとると変化が苦手になり、新しいことへの不安が強くなる。ことが多い。
知識としては知っていて理解していることのはずなのに、眼の前の老母と直結させるのには時間がかかる。
こんなに簡単なことで母のQOLがあがるなら、もっと早くやってあげればよかったな。
というちょっとした後悔を、少しでも減らせる2026年であるといいと思う。


