曜日の感覚がなくなるので

史上最強に無為なゴールデンウィークが明日で終わる。
こんな休日には必ず、

何もできずに/今日もまた/可哀想ね/終わってしまった

ACOの『悦びに咲く花』という曲のワンフレーズが頭のなかでぐるぐる廻る。もう20年廻り続けてる。と思うと時の流れが空恐ろしい。

「何してたの?」「Amazonプライムを観て、本を読んで、YouTube動画で筋トレをして、本を読んで、洗濯をして、Netflixを観て、料理をして、時に走って、時に友達とオンラインで話したよ」「すごく充実してるじゃん!」と昨日Mちゃんに言われた。はて、確かに、書き出すと色々しているように見えるけれど、なぜだろう、無為感は消えない。読んだ本と仕掛かりの本を並べて写真に撮って、充実感を模索してみたものの、やっぱり何もしていない気がする。

自分にとっての充実の定義、建設的であることの定義には何となく気づけているけれど、それは隣りの芝生は青い的な刷り込みで、今世ではたどり着けない。

 

ずっと英語で仕事をしているのに、未だに英文法の時制に対する理解が曖昧だ。現在完了も過去完了も感覚で使っているので、よく理屈が分からない。「それはね、英語という言語がキリスト教の教えを基にしていて、日本語は仏教観がベースにあるからだよ」と先日改めて真っ向からHに言われたことを思い出す。いつもこの定説を聞くと、そうだよなと納得するような気がしてけれど、よく考えたらやっぱりよく分からないので、調べてみる。キリスト教はすべての時間が延長線上にある。仏教は、過去と現世と来世が分かれている。…やっぱり分かったような、よく分からないような。結局そのままである。

 

J.CREWが破産申請。高校生の頃に吉祥寺に店舗があった、あの頃の私のコートはJ.CREWだった。そして最近のJ.CREWと言えば、少し前にネットで見かけて衝動的にBUYMAで頼んでしまった、J.CREWNEW BALANCEのコラボスニーカー。予約したままになっているけれど、あれはそのうち届くのだろうか。と思っていたら連絡がきている。届くらしい。仕組みはよく分からない。


とても気がかりなことがあるけれど、持ち越し。この先の日常に漫然と横たわる不安に、塗れていきそうな気がする。

旅は続く

初めて訪れた真夏の祇園祭の賑わいをひとり抜けて、冷房の効いたお店のカウンターでキンと冷えた生ビールを飲みながら、スパイスカレーを食べた。
その時に店内のBGMで流れてきた曲にハッとした。

フィッシュマンズの「いかれたbaby」。

何年ぶりに聴いただろう。
あの曲に特別な思い出はないけれど、自分が通りすぎてきたある特定の時期に、とてもよく聴いていた曲。その時期の空気感が思いがけず蘇って、瞼の奥がジンとした。

うだるような暑さ、祭りの喧騒、涼やかな風鈴の音、初めて入ったカレースタンド、冷たいビール、知らない土地でひとり、ふいに流れてくる懐かしい曲。

旅のこういう一時は、この先何度でも訪れるものではない。けれどわたしはこの先、こんな一時をきっと何度も思い出すだろう。それはこれからのわたしの人生の、杖のようなものになる。

旅なんて特に好きとも思わずに、むしろ面倒と思いながら、時に必要に迫られて、時に誘われて続けてきた人生だったけど、必ずしもやるべきことではなくなってから、わたしは初めて旅の醍醐味を実感している。

Alone Again, Naturally

思い返せば、「ここではないどこかへ」と思わない人生を送ってきた。

自分で確固たる意志をもたずとも、わたしはいつも「ここからどこかへ」移動してきたからだ。物理的に、精神的に。

幾度もの引っ越し、複数回の転職、世界各国への出張、何人もの人との別れ。

人生が絶えず水のように流れている。それが誇らしくあり、不安でもあり、根を張って生活している人を羨むときもある。

何にせよそれは私という個の性であるとともに、もはや沁みついたクセになっているのだと思う。

 

水のように流れ続けて生きるということは、時にとても寂しさを感じることだ。

私は好奇心と矜持という名のもとに、いつも寂しさを原動力に変えて、乗り越えてやってきた。それは本当に自然なことだった。

だけど、去年は寂しさを感じることがとても多くて、ともすればその寂しさに呑みこまれそうになっていた。

そんな年明けに、ドイツの哲学者ハンナ・アレントの言葉を目にした。

 

Solitude is the human condition in which I keep myself company. Loneliness comes about when I am alone without being able to split up into the two-in-one, without being able to keep myself company. 

- Hannah Arendt

 

【孤独な時、私は自分自身と向き合い共に在ることができる。寂しさは、自分自身と向き合うことのできない時にやってくる】

私はこれまで寂しかったわけではない、孤独だったのだ。

孤独は、自分を見失わせない。思考と創造を生む。自分を見失いかけるときは、いつも寂しさに襲われるときだ。

 

弾丸出張で飛ばされたジャカルタで、右も左も分からず途方に暮れたホテルの最上階で、食べ物じゃないみたいな色をしたインドネシアの伝統菓子を食べながら、遠くから聴こえるアザーンに独り耳を澄ませた。誰も知り合いのいないまったくの異文化の中で、とても孤独だった。けれど、清々しかった。

転職の決まらなかった夏、独り自転車で都内を走り回って、たくさんの美術展や映画を観た。とても孤独だった。けれど、ワクワクした。

 

2018年、私はまた独りになった。

寂しいという気持ちにまだ負けそうになってしまうけれど、自分自身と共に在る、あの清新な孤独感をまた思い出したい。

すべて世は事もなし

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

ロバート・ブラウニング・作、上田敏・訳『春の朝』 

 

 

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hillside's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in His heaven-
All's right with the world!

Robert Brawning, from Pippa Passes

 

ホームにて。発車直前の電車を指さして「この電車は町田に行きますか?」と聞いてきた60代女性に「行きますよ!」と答えて電車に押し込んであげた。

道端にて。雨に滑って自転車ごと横倒しになった60代女性の荷物を拾い上げて、自転車を起こしてあげた。

なぜだか通りすがりの60代女性に2度手を差し延べた本日。一日二善を施したので、少しは欲のままに振舞ってもよい気もしたけれど、二人とも母ほどの齢の女性であった。今日はもう悪さはできないのである。

その心ごと、生きていく。

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ケネス・ロナーガン監督『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を観る。と言っても観たのは3週間も前。なかなか言葉に起こせない、けれど残しておきたい、そんな感情をもたらす作品だった。

生きていると、人は大なり小なり、生涯取り返しのつかないことをしてしまうことがある。人生はドラマみたいに、エンディング間近でまるっと収拾できることばかりではない。臍を噛むような出来事に遭遇したとき、あるいはそれに気づいたとき、人の青春期は終わるのだと思う。

フラッシュバック的に入る過去のケイシー・アフレックの「その出来事」以前の、少年のようなやんちゃな表情と、現在のやつれた表情の落差が、彼の深い慟哭を倍増させる。"I can't beat it" (どうしても乗り越えられないんだ)という彼の嘆きが、とても現実的であるがゆえに、心に深く突き刺さる。

 

この映画に、目の醒めるような再生や救いは決して訪れない。じわじわと前へ進めるかもしれない、そんな微かな予感を残すのみだ。しかし、そのリアリティが、同様の悲しみやつらさを抱える我々の孤独に、優しく寄り添ってくれる。

取り返しのつかないことは抱えて生きていくしかない。抱えながら生きる方法を探ってあがくしかない。それを引き受けるにはとても時間がかかるし、独りでは決してできないことではあるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

本を読んでいない。

昨年、遂に本の仕事から離れた。

何度職場を変わっても15年以上続けてきた仕事だから、それなりの信念ややりがいを持ってやってきたつもりだった、でも業界を離れるに当たって、思っていたより身を切るような思いはしなかった。

新しい仕事は知識も経験もない業界、毎日壁にぶち当たっては乗り越えようともがく日々、憂鬱な気持ちになることもある。けれど、元の業界に戻りたいとは不思議と思わない。

潮時だったのだろうなと思う。

 

先日は友人の13回忌だった。

15歳で彼と出会ってから一緒に過ごした年数を、彼が亡くなってから過ぎた年数が超えてしまった。

あの頃は毎月毎月一緒に飲んでいたけれど、一緒に30代を迎えることができていたら、今でも変わらず会えていただろうか。それとも結婚して子供ができて、すっかり疎遠になっていただろうか。意味のない仮定だけれど、彼が生きていたならば、私の人生は確実に今とは違っていたと思う。彼の他の近しい友達だって、きっとそうだ。人ひとりの人生は、それだけ大きなものだ。それをあの時彼に伝えられたらよかった。

この先15年、20年、私は何度でも後悔するだろう。でもそれは癒したいとか忘れたいとかではない、ただそこにあり続けるもので、私の中を一生たゆたい続けるものだ。

生きていくということは、大なり小なり、解決のできない気持ちを受け止め続けるものなのだろう。

 

ただただ、彼と一緒に年を重ねてみたかった。この齢になっても尚、昔と同じように浅はかなことをしたときに、彼を呼び出して打ち明けて、笑い飛ばしてほしいと、今でも時折思うのだ。