Be Yourself No Matter What They Say

仕事でシンガポールに行ってきた。

 

シンガポールの取引先のオフィスでミーティングをしていると、社員の一人がおもむろに立ち上がり、部屋の角に絨毯を敷いてその上にひざまずき、祈りはじめた。

その取引先の社長と社員がイスラム系だということを、わたしはその時初めて認識した。

彼が祈っている間も、他の社員は談笑しながら働いていた。日常のひとコマなのだなと感じた。

 

「日本人と中国人はやたらと夕飯に誘ってくれるけど、僕はムスリムだからね、ハラールがあるんだ。だから悪いけど誘わないでほしいよね。アハハ」と取引先の人は笑った。

 

シンガポールは多国籍民族の国家である。

イスラム系、インド系、中国系を主として、様々な民族と文化が見事に共存していて、ヒンズー教の寺院のすぐ隣りに中国の観音堂が建てられていたりする。ほとんどのシンガポーリアンは公用語の英語以外に自分のルーツの言葉も話すので、街を歩いていると色々な言語が飛び交っている。

誰が観光客で誰が地元の人なのか、みんな一体どこから来てどこへ行くのか。

 

スティングのEnglish Man in New Yorkが中学生の頃から好きだ。


Sting - Englishman In New York - YouTube

簡単に言うと、イギリス人がニューヨークにやってきて自分がエイリアンのように思える、という歌なのだけれど、わたしも住む先々で同じ気持ちを感じたことがあった。

 

わたしは幼少期と思春期を途切れとぎれに日本と海外で育ったいわゆる「帰国子女」で、4~5年周期で移住していた。

幼い頃に渡った南の島国では「見たことのない黄色人種の子」として一挙手一投足が注目され、日本に戻ったら戻ったで「外国から来た変わった子」というこで学年中から指をさされて話題にされた。イギリスでは通りすがりに「イエロージャップ!」と叫ばれたこともあるし、ドイツでは中国人の口真似をする現地の学生たちに追い回されたこともある。

外国でのマイノリティ体験を自分の人生においてプラスとして昇華できる人々もいると思うけれど、わたしはそれを斜めに受け止めすぎたあまり上手に進化させることができず、ひねた優越と劣等の間でしばらく漂っていた。

 

だから、だろうか。ロンドンより台北よりベルリンよりソウルより、シンガポールのような都市が落ち着く。

いろいろな肌の色の人がいて、いろいろな言語を話し、アジアだけど欧米の空気感もある。どんな国籍の人も注目されない。人混みに紛れられる。それは寛容や受容ということとは違い、「特に気にしない」ということなんだと思う。

自分の出自にある習慣や文化だけが、世界では常識ではないということ。それが常識である街で育つということ。

 

ここ数年で東京には外国人観光客が倍増した。新宿あたりで信号待ちをしていると、自分以外の周りが皆中国や東南アジアの人々だったりすることもあるくらい。デパートや薬局、家電量販店の掲示物には日本語の他に、中国語・韓国語・英語が書かれている。

シンガポールとまではいかないけれど、こういう街を見て育つ子どもたちは、どんな感覚になるのだろう。