大きな声で歌いたい。


気づくとこのPVをずっと見ています。
青春の要素がぎゅうぎゅうにつまった5分間あまり。わたしは小中学校の頃に合唱部に所属していたので、更にキュンときます。
大人になってからはもう、あんなふうに大勢で声を合わせて歌うことは、なくなってしまった。


「あなたにとって/大事な人ほど/すぐそばにいるの」という歌詞は、彼らにはまだあまり響いていないかもしれないけれど、こんなふうにみんなで大きな声で歌えたことを忘れ去った頃にやっと、気づくんだと思う。

よしながふみ『きのう何食べた?』4巻を読みました。

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

相変わらず食べたいものが満載!
このマンガに出てくる料理は、どれもこれもとっても美味しそう。主人公のゲイカップルの、食に対するワクワクと執着にこっちまで昂揚させられる、素晴らしい料理マンガです。
作りたい作りたいと思いつつ、機会がなくてまだ1〜3巻に載っているレシピの何ひとつ作ったことがないのだけれど、とりあえず、週末にキャラメルりんごを煮てみたいと思います。

ひさしぶりの代官山。

代官山でお食事。
前はよく訪れていたのに、いつのまにかすっかり疎遠になってしまった街。そういえば最近、小田急線周辺ばかりで遊んでいた気がします。交友関係や勤務先のせいなのだろうけど。


夏大好きっ子が幅をきかしているので、冬は周りが足並みそろえて盛り下がってゆく季節ですが、わたしは寒さにめっぽう強い冬っ子。新陳代謝が抜群によいので生来の冷え症しらず。肌の調子も体調も、冬のが断然よいのです。そんな季節を、悶々とこもって無駄にしていてはいけない!


この冬はちょっと、普段とは違う街にも繰り出してみようと思います。とりあえず、谷根千ふたたび。


友達が美味しいと言っていた、間人へ。

間人 代官山店

食べログ 間人 代官山店

焼酎のゴボウ茶割りが美味、何杯でもいけそう。
全体的に奇をてらっていずやさしい味の和食で、店内も落ち着く雰囲気。かといってかしこまりすぎてはいず。
少人数で、ゆっくりしっぽり会話を楽しみたいときによいお店だと思いました。

佐藤雅彦ディレクション“これも自分と認めざるをえない”展に行きました。


わたしは佐藤雅彦氏がとても好きです。
彼のつくったものはいつも、日常で当たり前に通り過ぎていることに気づかせてくれたり、意識して見ていないものを眼の前に並べてくれたり、小難しいものをとても分かりやすいものに変換してくれたりする。希望や勇気を与えてくれる。そして何より単純に、面白い。


今回の21_21 DESIGN SIGHTでの展示も、期待に違わずでした。
入館したらはじめにそれぞれブースに入り、目の虹彩・背丈・体重を記録します。そしてそれぞれの展示に進む、主に体験型の展示スタイル。


自分の個性がいとも簡単に大衆に埋没すること、反面、自分が唯一無二の「個」であることを、認識させられます。揺らぎます。



これは観なくては分からない体験!11月3日まで!もういっかいでも行きたい!


読みかけですが、この展示を特集した先月の美術手帖に載ってる佐藤雅彦氏のインタビューが読み応えあります。氏と交流の深い、小沢健二のエピソードが素晴らしい。

美術手帖 2010年 10月号 [雑誌]

美術手帖 2010年 10月号 [雑誌]

「何者かにならなくてはならない」という、自己実現への脅迫観念。「生きる意味」についての葛藤。
若い時には陥りがちな悶々で、後者なんかは若くなくても考えてしまう、答えなんてないのにね。
でもホント、奮いにかけられて捨てられたからって、たいそうな意味を見出せないからって、あきらめる必要なんてどこにもない。


世界において必要とされるところにいて、やれることをやるだけ。
人はもっとシンプルに生きられる。

おもひ出しおもひ出しては秋の雨。


芭蕉の弟子・服部土芳の句です。
ずいぶん昔、高校生くらいのときに俳句便覧のようなもので見てから、この時期になるといつも思い出す俳句。
何の脈絡もなく心に残り続けるワンフレーズって、ありますね。


俳句の勉強をしてたとき、季語では秋の長雨は、『秋霖』『秋ついり』ともいう、と教わって、そのとき、『シュウリン』『アキツイリ』って心の中で何度もつぶやいてみて、ああ日本語って美しいなあって少し感動したのを憶えてる。
「季語」っていう考え方、日本独特ですごく好きです。英語で言うとどうなるんだろう?
words that indicates the season?


寂しいのと情けないのと悲しいのと、前向きなのと冷静なのと清々しいのと、いろいろな気持ちが合わさったような、乏しい語彙ではとうてい表現のできない気持ちでいる、秋雨の日。


友達や知人は少なくなく、むしろ多い方だと思います。
けれど、幾度の出会いを経ても何回別れを繰り返しても、まだまだ経験したことのない感情があるというフシギ。心の深淵。
きっと、他の誰かは知っているのに、わたしは一生知り得ることのない気持ちも、あるんだろうな。


そう思うと、人の一生って短い。文字通り、一度きりだ。


日和見になっていてはいけない。

せつない気持ち。

雑誌ブルータスの最新号の特集、各地で話題になっています。

BRUTUS (ブルータス) 2010年 11/1号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2010年 11/1号 [雑誌]

「泣ける映画特集」なんかはあるけれど、「せつない」みたいな微妙な感覚のみにフォーカスして特集にするってあんまりできないし、今までにないものだと思います。
それにしても、ブルータスってそもそもどういうコンセプトの雑誌だったんだっけ?

ブルータスとは

…「高収入層向け」、か… 読んじゃってごめん。


各界の識者が挙げる『「せつない」もの』は、「ふ〜ん。みんなやっぱこんなところだよね」と流し読むカンジでしたが、『英語で「せつない」ってどう言いますか?』という、柴田元幸×ロジャー・パルパースの対談に興味津々でした。
「せつない」を英語でどう言い表すか、というのは、英語を使用する日本人なら誰でも一度は考えることじゃなかろうか。話題に上ったことも幾度となくあります。「懐かしい」は英語のワンワードでは表せないから日本独特の感性だと言うけれど、「happy」に100%対応する日本語も厳密にはない。同義語がないからといって、その言葉を使う人々に同様の感情がないということはない、というようなことをお2人が言っていて、正にその通りだと思う。アメリカの映画やドラマは「せつなさ」で溢れているもの。
この対談、もっと長バージョンで読みたい。


ところで、小田和正の歌は、たぶん日本人で小田和正を聴いたことがある人なら、たいていが「せつない」と思っていると思います(ブルータスの特集でも箭内道彦が触れている)。
たしかにあの人の声はせつなさ代表みたいな声なんだけど、歌詞の内容は割とざっくりしてる気がします。
『さよなら』なんかは一見せつなそうだけど、「愛したのはたしかに君だけ〜♪」って歌い上げているところなんかは、尾崎紀世彦ばりに清々しい。
今の季節にぴったりの『秋の気配』。メロディに騙されてせつなくなりそうになるけれど、自分の意志である別れを華麗に人のせいにして、美しいものに仕立て上げて浸る気配でいっぱい。結構身勝手な歌詞だと思うのですが、どうでしょう。
男の人のおセンチ、なのかな。
秋になると聴きたくなる、好きではある曲なのですが。


本や音楽でせつないものなんて大量にあるけれど、今「せつない」でパッと思いつくのは。


■尾崎放哉の俳句。

尾崎放哉全句集

尾崎放哉全句集

『淋しい 寝る 本がない』 …たったの11文字で、ここまで胸に迫ってくるせつなさって、他にあるでしょうか。


竹内まりや『駅』。

あと5年後くらいに、電車内で20代のときに好きだった人を見かけたら、声もかけられず、こんなカンジになるだろうなと妄想します。


麻生久美子のたたずまい。


■テノーリオ=ジュニオルのピアノ。


石川賢治の写真集。

月光浴

月光浴

美しいものって、概してせつない気がします。


いやしかし、振り返ってみると、自分が好むいろいろってすべて、何もかもが、「せつない」要素を含んでいる気がしてきます。
まだまだあるなあ。続く。

理想の女性。

秋です。ドラマ鑑賞の季節です。
日本のドラマはもちろん楽しみなのですが、アメドラ新シリーズのDVDリリースラッシュ時期でもあります。
『24』、『ブラザーズ&シスターズ』、『デスパレートな妻たち』、『フリンジ』、『スーパーナチュラル』…etc. 実は『ゴシップガール』や『ライ・トゥ・ミー』もちょっと観てたりして、『デクスター』も『Dr.HOUSE』も観遅れてるけど先が気になるし、実は他にも…や、もうホント、どうしたらいいのか。るんるん。


仕事も一応してるようだし友達と遊びにも行ってるようだし、一体いつドラマを観て本を読んでいるのかと、以前より訝しがられていますが、なんか、できるのね。できちゃう。
人が食欲や性欲に当たり前に駆られ、当たり前に発散するように。『物語欲』ゆえというか。「好き!」という気持ちがあると、時間って捻出できるようです。
このありあまるエネルギーを、何か違う、有意義な、私益はともかくとして社会に役立つことに還元できやしまいかと、随分前からあれやこれや妄想しているんだけども…何か、ないかなあ。


そんななか、新たなドラマシリーズに着手してしまいました。『ドールハウス』です。


とある大企業が、人間の人格や経験をすべて消去し、新しい人格を植え付ける技術を開発。彼らはこの技術を用いて、“アクティブ”と呼ばれる人形たちを産み出し、富裕層を相手に商売をはじめる。
“アクティブ”は依頼者のオファー通りに人格を移植され、ある時は娼婦に、ある時はシンガーに、あらゆる職業や性格を備え、依頼を忠実にこなしていく…。


物語としては、さほど新鮮ともいえないSFアクションなのですが、何といっても主演のエリザ・ドゥシュクがすてき。

わたしは5年くらい前に『トゥルー・コーリング』というドラマではじめて彼女を観てから、彼女が大好き。巨乳であるのにきびきびとアクションをこなす、ほどよく鍛えられた素晴らしいスタイル、若干眠そうな大きな垂れ目と厚ぼったい唇(=タヌキ顔)。黙っていて真顔だと本当に眠そうなのですが、笑うとすごくカワイイ!
もう一歩振り切ってしまえばバカっぽいすれっからし風な外見になってしまうのを、ギリギリ踏みとどまっていて、上品さも知的さも充分に備えたビジュアル。
う〜ん、カワイイ。魅力的。
アメリカの男性誌では、数年連続「もっとも美しい女性100人」のトップ10入りしてるらしいです。そして、近年では女優の他にプロデューサー業もやっているそうで。
う〜ん、やっぱり知的でもある。


要するに、とっても好み。
男だったら、わたし絶対この人のポスターとか貼っちゃうわ。
映画女優になるにはちょっと小粒で庶民的で、ドラマ女優に最適なところが、またいい(褒めてる)。


彼女の七変化を観るためにあるドラマ、といっても過言ではないと思います。
あー、カワイー。