Alone Again, Naturally
思い返せば、「ここではないどこかへ」と思わない人生を送ってきた。
自分で確固たる意志をもたずとも、わたしはいつも「ここからどこかへ」移動してきたからだ。物理的に、精神的に。
幾度もの引っ越し、複数回の転職、世界各国への出張、何人もの人との別れ。
人生が絶えず水のように流れている。それが誇らしくあり、不安でもあり、根を張って生活している人を羨むときもある。
何にせよそれは私という個の性であるとともに、もはや沁みついたクセになっているのだと思う。
水のように流れ続けて生きるということは、時にとても寂しさを感じることだ。
私は好奇心と矜持という名のもとに、いつも寂しさを原動力に変えて、乗り越えてやってきた。それは本当に自然なことだった。
だけど、去年は寂しさを感じることがとても多くて、ともすればその寂しさに呑みこまれそうになっていた。
そんな年明けに、ドイツの哲学者ハンナ・アレントの言葉を目にした。
Solitude is the human condition in which I keep myself company. Loneliness comes about when I am alone without being able to split up into the two-in-one, without being able to keep myself company.
- Hannah Arendt
【孤独な時、私は自分自身と向き合い共に在ることができる。寂しさは、自分自身と向き合うことのできない時にやってくる】
私はこれまで寂しかったわけではない、孤独だったのだ。
孤独は、自分を見失わせない。思考と創造を生む。自分を見失いかけるときは、いつも寂しさに襲われるときだ。
弾丸出張で飛ばされたジャカルタで、右も左も分からず途方に暮れたホテルの最上階で、食べ物じゃないみたいな色をしたインドネシアの伝統菓子を食べながら、遠くから聴こえるアザーンに独り耳を澄ませた。誰も知り合いのいないまったくの異文化の中で、とても孤独だった。けれど、清々しかった。
転職の決まらなかった夏、独り自転車で都内を走り回って、たくさんの美術展や映画を観た。とても孤独だった。けれど、ワクワクした。
2018年、私はまた独りになった。
寂しいという気持ちにまだ負けそうになってしまうけれど、自分自身と共に在る、あの清新な孤独感をまた思い出したい。