TOKYO DESIGNERS WEEK 2010。

今年もチラ見してきました、東京デザイナーズウィーク


様々なモノやコトをデザインするセンスって、訓練でも身につけられるとは思うけれど、割と才能に依るものが大きいんじゃあないかと思っています常日頃。


デザイナーとかそういう職業の方ではなくても、たとえば家の家具の色合いとか、カトラリーと食器の配置とか、洋服の収納の仕方、贈り物やカードの選び方、ちょっとした図案の書き方とか、身近な人たちのそういうセンスを垣間見て、「あ、こういうふうにすればいいんだ」って目から鱗が落ちることって、日常生活に多々あって。
わたしはそういう事柄に対する感覚、物事を点ではなく、面や線で見てアウトプットする感覚が、とても鈍い方だと思っています。空間把握能力に欠けているというか。センスがないというか。


だから、いつも羨ましくて仕方ない。
羨ましくて仕方なくて、展示会や美術展に足を運びます。
自分からは産まれようがない刺激に、絶対に「すごい!」って駆り立てられるのが分かっているから。それが嬉しいから。
いつも発奮していたいんだと思う。


で、デザイナーズウィーク。楽しかった!
OZONEで見たHOW ABOUT VIKTORというフィンランドの会社のソファーに、ひと座り惚れしました。

見かけは妙だけど、お花みたいに拡がった突起が、自分の背や肘をちょうどいい位置で支えてくれて、座れるしー寝転がれるしー足ものっけられるしー。
まだプロトタイプのようだけど、ほしい!
デザイナーはYukiAbeというフィンランド人と日本人とのハーフの男性のよう。彼の作品は「HANABI」とか「MANEKI」とか、なんだかステキなネーミングでした。
やっぱりヘルシンキは夢の街だなー。


もう停滞しているのはイヤだな、頑張ろう。そう思える、こういう刺激が大好き。

何かで埋めようと、必死になったりなんてしない。

おおきな木。

台風一過、東京農大の収穫祭へ。
あまりに混んでいたので、夕飯はタヴェルナ・アリーチェへ行きました。

お探しの店舗のページはありませんでした

アンティパストも各種パスタも本当に美味。青山や麻布でもっと高いお値段をつけて商売しても、たいへんな人気店になるだろうなといつも思います。
でも世田谷の片隅で、地元の人たちが気軽に美味しいイタリアンを食べられる場を作ってくれたのが、このお店の功績であるとも。
カウンター越しに世間話をしてくれるシェフの方の、気さくな人柄もステキ。

食後にサービスしていただいた自家製のリモンチェッロ。レモンの味が効いていて、う〜ん、これまた稀有な邂逅。


そして、農大で購入した焼酎を堪能。

なんだかキュウリの味がするような。


小さな頃に大好きだった『おおきな木』。

おおきな木

おおきな木

はじめて読んだ原書と、村上春樹氏の新訳と、旧訳を読み比べるという体験。村上春樹氏の翻訳の方が、旧訳よりも原書に忠実でダイレクトな訳です。「今」という時代に合っているのだろうな。翻訳も生き物であり、移り変わるもの。
あとがきを読んで、この物語の真髄、そして、物語の持つ力を再認識しました。わたしはハルキストではないけれど、何かしら凄いものを持っている作家ではあると思っている。


友人が『おおきな木』に出てくる木がわたしのようだと言いました。
無償に与え続ける母性。うーん。
でもわたしはやっぱり、与えるばかりではなくて、時に未熟なわたしの道を軌道修正してほしいし、話しているうちに何かしら拓けるものを得たいし、何よりわたしの気持ちを考えてほしい、分かってほしい。


束の間に気持ちよかったり楽しかったりするばかりでは、いたずらに時間が経ってしまうだけだ。それだけでは、もうこの先どこへも行かれない。


わたしは本当に友人に恵まれている。
それはかけがえのない財産で、いつもいつでも、いくら感謝しても足りない。

大きな声で歌いたい。


気づくとこのPVをずっと見ています。
青春の要素がぎゅうぎゅうにつまった5分間あまり。わたしは小中学校の頃に合唱部に所属していたので、更にキュンときます。
大人になってからはもう、あんなふうに大勢で声を合わせて歌うことは、なくなってしまった。


「あなたにとって/大事な人ほど/すぐそばにいるの」という歌詞は、彼らにはまだあまり響いていないかもしれないけれど、こんなふうにみんなで大きな声で歌えたことを忘れ去った頃にやっと、気づくんだと思う。

よしながふみ『きのう何食べた?』4巻を読みました。

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

きのう何食べた?(4) (モーニング KC)

相変わらず食べたいものが満載!
このマンガに出てくる料理は、どれもこれもとっても美味しそう。主人公のゲイカップルの、食に対するワクワクと執着にこっちまで昂揚させられる、素晴らしい料理マンガです。
作りたい作りたいと思いつつ、機会がなくてまだ1〜3巻に載っているレシピの何ひとつ作ったことがないのだけれど、とりあえず、週末にキャラメルりんごを煮てみたいと思います。

ひさしぶりの代官山。

代官山でお食事。
前はよく訪れていたのに、いつのまにかすっかり疎遠になってしまった街。そういえば最近、小田急線周辺ばかりで遊んでいた気がします。交友関係や勤務先のせいなのだろうけど。


夏大好きっ子が幅をきかしているので、冬は周りが足並みそろえて盛り下がってゆく季節ですが、わたしは寒さにめっぽう強い冬っ子。新陳代謝が抜群によいので生来の冷え症しらず。肌の調子も体調も、冬のが断然よいのです。そんな季節を、悶々とこもって無駄にしていてはいけない!


この冬はちょっと、普段とは違う街にも繰り出してみようと思います。とりあえず、谷根千ふたたび。


友達が美味しいと言っていた、間人へ。

間人 代官山店

食べログ 間人 代官山店

焼酎のゴボウ茶割りが美味、何杯でもいけそう。
全体的に奇をてらっていずやさしい味の和食で、店内も落ち着く雰囲気。かといってかしこまりすぎてはいず。
少人数で、ゆっくりしっぽり会話を楽しみたいときによいお店だと思いました。

佐藤雅彦ディレクション“これも自分と認めざるをえない”展に行きました。


わたしは佐藤雅彦氏がとても好きです。
彼のつくったものはいつも、日常で当たり前に通り過ぎていることに気づかせてくれたり、意識して見ていないものを眼の前に並べてくれたり、小難しいものをとても分かりやすいものに変換してくれたりする。希望や勇気を与えてくれる。そして何より単純に、面白い。


今回の21_21 DESIGN SIGHTでの展示も、期待に違わずでした。
入館したらはじめにそれぞれブースに入り、目の虹彩・背丈・体重を記録します。そしてそれぞれの展示に進む、主に体験型の展示スタイル。


自分の個性がいとも簡単に大衆に埋没すること、反面、自分が唯一無二の「個」であることを、認識させられます。揺らぎます。



これは観なくては分からない体験!11月3日まで!もういっかいでも行きたい!


読みかけですが、この展示を特集した先月の美術手帖に載ってる佐藤雅彦氏のインタビューが読み応えあります。氏と交流の深い、小沢健二のエピソードが素晴らしい。

美術手帖 2010年 10月号 [雑誌]

美術手帖 2010年 10月号 [雑誌]

「何者かにならなくてはならない」という、自己実現への脅迫観念。「生きる意味」についての葛藤。
若い時には陥りがちな悶々で、後者なんかは若くなくても考えてしまう、答えなんてないのにね。
でもホント、奮いにかけられて捨てられたからって、たいそうな意味を見出せないからって、あきらめる必要なんてどこにもない。


世界において必要とされるところにいて、やれることをやるだけ。
人はもっとシンプルに生きられる。

おもひ出しおもひ出しては秋の雨。


芭蕉の弟子・服部土芳の句です。
ずいぶん昔、高校生くらいのときに俳句便覧のようなもので見てから、この時期になるといつも思い出す俳句。
何の脈絡もなく心に残り続けるワンフレーズって、ありますね。


俳句の勉強をしてたとき、季語では秋の長雨は、『秋霖』『秋ついり』ともいう、と教わって、そのとき、『シュウリン』『アキツイリ』って心の中で何度もつぶやいてみて、ああ日本語って美しいなあって少し感動したのを憶えてる。
「季語」っていう考え方、日本独特ですごく好きです。英語で言うとどうなるんだろう?
words that indicates the season?


寂しいのと情けないのと悲しいのと、前向きなのと冷静なのと清々しいのと、いろいろな気持ちが合わさったような、乏しい語彙ではとうてい表現のできない気持ちでいる、秋雨の日。


友達や知人は少なくなく、むしろ多い方だと思います。
けれど、幾度の出会いを経ても何回別れを繰り返しても、まだまだ経験したことのない感情があるというフシギ。心の深淵。
きっと、他の誰かは知っているのに、わたしは一生知り得ることのない気持ちも、あるんだろうな。


そう思うと、人の一生って短い。文字通り、一度きりだ。


日和見になっていてはいけない。