こんな悲しいことは世の中にいくらだってある。

人はときに他人にはわからないほど些細なことで悩み苦しみ、ときに笑いとばせる神経がわからないほど無粋で、幸福の条件が揃っているのに不幸で、ひどい状況下なのにとても幸せだ。
自分の人生は誰にも裁かれたくない、他人の審判など無意味だ。それはきっと、彼女も同じだっただろう。


憎んでいたわけではなかった、むしろ尊敬していたのだ。だからこそ反発したし、伝わらない悔しさに泣いた。
うれしかった言葉を、話してくれた本のことを、楽しかったいくつかの夜を、何度も思い出す。


友人が亡くなったあのときも、そして今またこんな事態になっても、お腹は空くし会社にも通う、面白いことがあれば笑いもする。
それはきっと、まだこの世で誰かがわたしを必要としてくれているからだと思いたい。だからわたしは生きるのだ。
こんな悲しいことは世の中にいくらだってある。悲しくてもつらくても、ずっと甘えてはいない。


どうか悲しみや苦しみには果てがありますように。行きつくところは無ではなく、安らぎであるように。