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狂った恋が咲くのは4月

開花が遅くて寒さが長引き、今年は桜の季節が遅くて長かった。

だからか歯車が少し狂っている、色々なことが慌ただしい。

 

 

本を読んでいない。

昨年、遂に本の仕事から離れた。

何度職場を変わっても15年以上続けてきた仕事だから、それなりの信念ややりがいを持ってやってきたつもりだった、でも業界を離れるに当たって、思っていたより身を切るような思いはしなかった。

新しい仕事は知識も経験もない業界、毎日壁にぶち当たっては乗り越えようともがく日々、憂鬱な気持ちになることもある。けれど、元の業界に戻りたいとは不思議と思わない。

潮時だったのだろうなと思う。

 

先日は友人の13回忌だった。

15歳で彼と出会ってから一緒に過ごした年数を、彼が亡くなってから過ぎた年数が超えてしまった。

あの頃は毎月毎月一緒に飲んでいたけれど、一緒に30代を迎えることができていたら、今でも変わらず会えていただろうか。それとも結婚して子供ができて、すっかり疎遠になっていただろうか。意味のない仮定だけれど、彼が生きていたならば、私の人生は確実に今とは違っていたと思う。彼の他の近しい友達だって、きっとそうだ。人ひとりの人生は、それだけ大きなものだ。それをあの時彼に伝えられたらよかった。

この先15年、20年、私は何度でも後悔するだろう。でもそれは癒したいとか忘れたいとかではない、ただそこにあり続けるもので、私の中を一生たゆたい続けるものだ。

生きていくということは、大なり小なり、解決のできない気持ちを受け止め続けるものなのだろう。

 

ただただ、彼と一緒に年を重ねてみたかった。この齢になっても尚、昔と同じように浅はかなことをしたときに、彼を呼び出して打ち明けて、笑い飛ばしてほしいと、今でも時折思うのだ。

 

 

日本警察史上、最大の不祥事

白石和彌監督『日本で一番悪い奴ら』を観る。

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出先で、ふいに「時間あるし何か映画でも観ようか~」と思いついて、「そういえば予告編で観た中村獅童のヤクザぶりがハマってたな~実際の事件を基にしているのも興味深い、これにしようか」という軽い気持ちで観たので、特に期待もしていなかったのだけれど、上映時間の2時間と少し、飽きずにテンポよく楽しめた。

2002年に発覚した、北海道警察の不祥事である”稲葉事件”をモチーフにしたストーリー。”稲葉事件”とは、一人の現職警察官が覚せい剤所持と銃刀法違反で逮捕されたことにより、道警の組織ぐるみの不正が発覚した事件である。

中村獅童が観たくて決めた映画だったけれど、綾野剛の演技がすごかった。体育会出の不器用な新米警察官・諸星が、若さゆえの野心と使命感から花形捜査官にのぼりつめたものの、積み重ねた不正のつじつま合わせや裏切りによって坂道を転がり落ちるように堕ちていく、そんな一人の男の30年近くの人生を、体型のコントロールも含めて、見事に演じ分けている。

新人の頃のおどおどキラキラした青年の表情、脂ののった20代後半~40代前半の、すすきのを闊歩する豪快な所業、そして覚せい剤にはまり思い出にすがる虚ろな逮捕前…綾野剛がこんなに凄みのある俳優になっているとは思わなかった。覚せい剤を初めて打つ場面と、ラストシーンが特に必見。

同監督の『凶悪』は、俳優陣の演技力に感嘆するもひたすら嫌な後味が残る映画だったけれど、この映画も気分のよくない題材ではありながら、誤った方に向かってしまったものの、主人公・諸星のすべての行動の源には、組織に対する忠誠心と仲間に対する信義があるので、哀愁はあるが『凶悪』のような閉塞感は残らない(諸星、間違ってはいるんだけど)。全盛期に綾野剛中村獅童が仲間たちとテンポよく悪事に邁進する様は、男たちが仲良く活気にあふれ楽しそうにつるんでいて、さわやかな青春映画の様相すら感じさせた。

活き活きした場面で流れる、少しユーモラスな中東っぽい音楽もよかった。逆に最後はスカパラでなくてもよかったような…。

綾野剛はこれから30代後半、40代、それこそ脂が乗ってくる時期だ。深作欣二みたいなヤクザ映画もハマりそうだけど、深みのある人間ドラマを演じる彼も観てみたい。

あいつを愛したら、星になるだけ

先月のはじめにニューヨークに行っていた。

ヨーロッパ圏とアジア圏には縁があるながら、アメリカ大陸は実に33年ぶり。

そして完全プライベートで海外へ行くのは、4年半ぶり。

 

感想としては、「人種のるつぼ」を実感、決して白人の街ではない。外国人である自分も何の違和感もなくサブウェイに乗り、誰から注視されることもなく人混みに紛れられる。パリでもロンドンでもフランクフルトでも、移民が増えたとはいえここまで様々な人種はいなかった。「るつぼ」という意味ではシンガポールが近いものがあるけれど、高層ビルの巨大さや各公園の広大さもあいまって、スケール感が違う。

この国とは決して争いたくないなと思いました。

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マンハッタンの碁盤目状の大通りの、ちょうど高層ビルの谷間に沈む夕陽があまりに美しくて、撮影。マンハッタンヘンジ("Manhattanhenge")という、年に2回しか見られない現象だということを、後から知る。ラッキー。雨上がりの道路に光が乱反射して、美しさ倍増でした。

 

そして事前に誰も教えてくれなかったので、この時期のニューヨークの、わたしが感じた難点をふたつ。

  1. ニューヨークの上空だけオゾン層が壊れているのではないかと思うくらい、紫外線が強い。
    沖縄でも東南アジアでも体験したことのない、強烈な日差しに閉口…SPF50の日焼け止めをベタベタ塗っても鼻がまっか。たしかにアメリカの日焼け止めにはSPF100がある…。日本人の肌質の軟弱さを痛感しました。
  2. 空気が異常なほど乾燥している。
    宿泊したB&Bのオーナーさんが「ニューヨークでは1日1.5リットル以上の水を飲むことが必須。必ず持ち歩いてください」と初日におっしゃっていただけれど、確かに1日外を歩いていると目元も手もガサガサになる…夜に鏡で自分の顔を見ると、東京にいるときよりも明らかに皺が深い…朝起きると喉がほんのり痛い…。街行く人は皆ペットボトルの水を持ち歩いているし、あちこちで水が多量に販売されていました。

 

 

 

 

今日だけは神様のことみんな信じてる

2015年最後に観た映画は橋口亮輔監督の『恋人たち』。

独りで映画を観ることはめっきり減ってしまったけれど、特に誘う人も浮かばないし誘われもしないのに自分はすごく観たいとか、今この時に観たいとか、周期的にそんな映画が巡ってきて、独りで映画館へ足を運ぶ。これもそんな映画のひとつ。

橋口監督は、『ハッシュ!』の主役3人の演技がとても印象深くて、そのときに片岡礼子という女優の名前を覚えた。さばさばしていてすてきな女優さんだと思った。最近あまり見ないなと思っていたら昨年か一昨年に民放ドラマで見かけて、セリフがどえらい棒読みになっていたので度肝を抜かれたけれど、彼女の声質とまなざし、たたずまいはやはり変わらず独特だった。俳優の味わいを引き出す橋口監督の手腕はすごいと思う。


恋人たち 2015 映画予告編

夫と姑から見向きもされない日常を送る平凡な主婦。通り魔に妻を殺害されたことにより精神を病み、満足に収入を得られなくなった男。同級生に片思いを続けるゲイの弁護士。

出てくる人たちはみんな大きく小さく不幸だけれど、こんな不幸はどこにでもある。名前がついていなくても、取り沙汰にされなくても、そこここに無造作に転がっている不幸だ。

こんな不幸がどこにでもあるのに誰も気にしてくれないという現実は、なんて非情で不条理なものだろうか。

でも、生きていくということは、そんな中にも垣間見える微かな希望や、小さな喜びをつないでいくものだ。裏切られながら失望しながら、それでもつないでいくものだ。

束の間誰かと笑いあったり、時に温かいものを頬張ったりしながら。

わかるよ。誰もわかってくれないと思うのもわかるよ。どうしようもなく辛いのも、投げ出したいのも、わかるよ。でも、つなごう。と、寄り添ってくれるような映画だった。

 

ユニコーンの『雪の降る町』を聴かなかった年末はとってもひさしぶり。そのくらいあっという間に明けてしまった。


UNICORN 雪が降る町

かれこれ20年以上、脳内ベスト年末ソング。元旦に『お年玉』に切り換わるという流れ。


UNICORN 「お年玉」

どちらの曲も、日本の年末年始のココロを絶妙に描写していると思う。

 

初夢は、なんと隠れて浮気をする夢。驕るな、という意味があるらしいので、謙虚に努めたいと思います2016年。

 

あと100日。

おおはた雄一の「おだやかな暮らし」という曲をはじめて聞いたとき、Radioheadの「No Surprises」を思い起こした。以来、どちらの曲を聴いても、もうひとつの曲のイメージがオーバーラップする。

www.youtube.com

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わたしは音楽理論には明るくないので、リズムとかコード進行とか、そういうことは一切分からないのだけれど、そして歌詞の意味も、意図するところや方向性は双方まるで違うとは思うのだけれど、ひとつ共通する思いが聴こえてくる。

 

”普通”への渇望。

 

そう言うと、「”普通”って何なの?」と問題提起してくる人が必ずいるけれど、多くの人が大なり小なり、強く弱く、共通して思い描く”普通”というのはやっぱりあると思う。

それは、家族と家だ。

朝送り出し夜迎えいれてくれる家族がいて、家族が毎日おいしいご飯を食べていけるための仕事と、家族が温かく暮らせる家があることだ。

 

後戻りができない齢までくると、もうひとつの未来があったはずもないことは自分が一番分かっているし、今の自分を否定することも大概ないけれど、連休をただテレビを観て寝て無為に過ごしてしまうことがあると、美術鑑賞でも友人や恋人との会食でも、刺繍でも読書でも何でもいい、何か生産的なことはできなかったのかと自責の念に駆られてしまうことがある。「生産的なこと」、それが「いつもは仕事で時間がなく遊んであげられないでいた子供を行楽地へ連れていく」ということだったら、どんなにわかりやすいだろう、と思ってしまう。

 

今年もあと100日だ、とテレビでニュースキャスターが口々に言う。

100日後、わたしは誰といて何をしているだろう?

わたしはいまだにそれがはっきりとわからない生活をしている。

Be Yourself No Matter What They Say

仕事でシンガポールに行ってきた。

 

シンガポールの取引先のオフィスでミーティングをしていると、社員の一人がおもむろに立ち上がり、部屋の角に絨毯を敷いてその上にひざまずき、祈りはじめた。

その取引先の社長と社員がイスラム系だということを、わたしはその時初めて認識した。

彼が祈っている間も、他の社員は談笑しながら働いていた。日常のひとコマなのだなと感じた。

 

「日本人と中国人はやたらと夕飯に誘ってくれるけど、僕はムスリムだからね、ハラールがあるんだ。だから悪いけど誘わないでほしいよね。アハハ」と取引先の人は笑った。

 

シンガポールは多国籍民族の国家である。

イスラム系、インド系、中国系を主として、様々な民族と文化が見事に共存していて、ヒンズー教の寺院のすぐ隣りに中国の観音堂が建てられていたりする。ほとんどのシンガポーリアンは公用語の英語以外に自分のルーツの言葉も話すので、街を歩いていると色々な言語が飛び交っている。

誰が観光客で誰が地元の人なのか、みんな一体どこから来てどこへ行くのか。

 

スティングのEnglish Man in New Yorkが中学生の頃から好きだ。


Sting - Englishman In New York - YouTube

簡単に言うと、イギリス人がニューヨークにやってきて自分がエイリアンのように思える、という歌なのだけれど、わたしも住む先々で同じ気持ちを感じたことがあった。

 

わたしは幼少期と思春期を途切れとぎれに日本と海外で育ったいわゆる「帰国子女」で、4~5年周期で移住していた。

幼い頃に渡った南の島国では「見たことのない黄色人種の子」として一挙手一投足が注目され、日本に戻ったら戻ったで「外国から来た変わった子」というこで学年中から指をさされて話題にされた。イギリスでは通りすがりに「イエロージャップ!」と叫ばれたこともあるし、ドイツでは中国人の口真似をする現地の学生たちに追い回されたこともある。

外国でのマイノリティ体験を自分の人生においてプラスとして昇華できる人々もいると思うけれど、わたしはそれを斜めに受け止めすぎたあまり上手に進化させることができず、ひねた優越と劣等の間でしばらく漂っていた。

 

だから、だろうか。ロンドンより台北よりベルリンよりソウルより、シンガポールのような都市が落ち着く。

いろいろな肌の色の人がいて、いろいろな言語を話し、アジアだけど欧米の空気感もある。どんな国籍の人も注目されない。人混みに紛れられる。それは寛容や受容ということとは違い、「特に気にしない」ということなんだと思う。

自分の出自にある習慣や文化だけが、世界では常識ではないということ。それが常識である街で育つということ。

 

ここ数年で東京には外国人観光客が倍増した。新宿あたりで信号待ちをしていると、自分以外の周りが皆中国や東南アジアの人々だったりすることもあるくらい。デパートや薬局、家電量販店の掲示物には日本語の他に、中国語・韓国語・英語が書かれている。

シンガポールとまではいかないけれど、こういう街を見て育つ子どもたちは、どんな感覚になるのだろう。