外国へ行きたいか

忘れもしない2011年3月、私はそれまで数年に渡って期限切れのままになっていたパスポートを再度取得した。

時は東日本大震災の直後、このまま日本から出られなくなるのではという漠然とした恐れと閉塞感に突き動かされ、震災から10日も経たないうちに新宿のパスポートセンターを訪れていたのだった。そこはかとなく息苦しい、息が詰まりそうだという感覚、今でも昨日のことのように憶えている。

「日本から一生出られないのと、一生日本に帰れないのと、どちらかしか選べないとしたらどっちがいい?」という質問に対しては、みんなどう答えるだろう?

私はそれまでもずっとかぶせぎみに「日本から一生出られなくて構わない」と答えてきていたのに、実際出られないとなると、途端に不安になる。ずいぶん都合のいいお話だけど、自らの意志で日本にとどまることと、他に選択の余地がなく日本から出られないこととでは、ずいぶん意味合いが違うものと受け止めてたということに、その時初めて気づいたのだった。

新宿のパスポートセンターは同じようなことを考えている人々でごった返して、何時間も待つのではないかしらとあらかじめ覚悟していたのだけれど、人の出は多くも少なくもなく、行列に並ばないわけでも並ぶわけでもなくて、そこにはただ淡々と、申請処理をこなすセンターの職員の皆さんの日常があった。

あれから10年、パスポートが更新の時期を迎えた。今回は新型コロナウイルス感染拡大という、あの頃には想像だにしなかった別の脅威で、事実上この国から出られなくなっている。生きてるといろんなことがあるもんだわ、と思う。

それでも家の外に出れば暖かい冬の陽射しの中で子供と犬がはしゃぎまわり、陽の光が水面にキラキラと乱反射する川沿いを散歩する老夫婦の横を、ジョガーたちが駆け抜け、一見変わらない日常がそこにある。みんなマスク姿ではあるけれど。

2021年3月、私はまたパスポートを更新しにいった。次に日本から出られるのが一体いつになるか分からない、もしかしたらもう一生出ることもないのかもしれないけれど、やっぱり更新しにいった。

この先もう2度と外国に行くことはなかったとしても、「コロナさえ落ち着けば、いつでもどこにでも行ける」と思えること─その日常に生きていたいからだと思う。

パスポートセンターは10年前よりも一層とても、とても静かだった。

 

皆さまもどうか元気で、お気をつけて。