東直子『とりつくしま』を読みました。

とりつくしま

とりつくしま

先日この本を探して、会社帰りに新宿の某書店に行きました。
「現代文学」の「女流作家」の棚で「は」行を探しても見当たらず、「あーここには置いてないんだ」と思い、別の本を探していると、なんと「あ」行に『とりつくしま』が。
作者は「“ひがし”なおこ」さんと読みます。“あずま”と取り違えたのでしょう。
むーん、ここではあまり買う気にならない。


なので、別の某書店に立ち寄り同じく女流作家の欄を探したところ、またもや見つからず。
しかしこちらは老舗の大型書店であり、そのようなミスを侵す書店ではありません。
もしや、と思い「現代文学」ではなく「詩・短歌」の棚を探したところ、見つかりました。
作者はもともとは歌壇でデビューされた方で、現在も歌人として活躍していらっしゃいます。それゆえかと思います。しかし、この本は小説です。
むーん、この場合、どっちの棚に置くのが正しいのだ?
マルチな活動をされる方も多いなか、書店の配置も難しいですね。


物には魂が宿るといいます。
『とりつくしま』は、この世に心残りがあるまま亡くなった人が、死後にこの世の物に「とりつく」、10篇の物語です。息子の晴れ舞台を見守るためロージン(野球でピッチャーが投げる前に手に付ける白い粉のことだそうです)にとりついたり、夫の愛用のマグカップにとりついたり…それぞれがそれぞれの想いを抱いて、物に宿ります。
そう言うと、お涙頂戴物語ばかりになりそうですが、歌人ならではの言葉の選び方が一種寓話的な雰囲気をかもし出しているがゆえに、少し俯瞰した位置からきちんと物語を受け止めることができます。やさしく切なく、ゆっくりと心にしみます。
ハッピーな展開の物語ばかりではないのが「死」を美化しすぎていず、よいです。