流行りのものが似合わない。

Tevaなるブランドが流行りはじめてから、ずっと履いてみたかったスポーツサンダル。でも仕事はスーツだから、履く日がとても限られるので無駄な買い物ではないかと、泣く泣く諦めていたのだけれど、昨年から在宅勤務になりあっという間に毎日の服装が出版社時代に逆戻り、今年の夏は遂にスポサンビュー!

と、満を持して履いてみたところ…とても似合わなかった。

いや、ある意味似合ってはいる。

ただ、タウン仕様コーデの足元をちょっとスポーツサンダルではずす的な?大人の遊び心的な?あの雰囲気が出ない。

キャンプで川遊びとか、テニスプレーヤーの足休めとか、本来のスポサンの目的で履いてる人にしか見えない。

丈夫な素材、ホールド力のあるベルト使い、快適さをもたらす造りがただでさえ大きい足の見栄えを増長させ、「泥につっこんでも脱げないぜ!」という安心感・安定感はバッチリ。でも、「流行ってるの、これじゃない」感がすごい。

そういえば、足が巨大(25.5-26.0)なため、ビルケンシュトックが流行った時も諦めたことを走馬灯のように思い出した。

 

今年の夏も10年前のサンダル*で過ごしたいと思います。

*ソールが剝がれているのを修理すること!

悲しみが癒えるまで

数日前の雨の日の朝に、母がマンションの玄関で滑ってよろめき、鉄の扉に頭を強打した。右の側頭部をぶつけたと言い張るのになぜか額に青痣が浮かんでいて、大丈夫だと言い張るのを説得して、脳神経外科に送り込んだ。

父が亡くなった後、そう遠くない日に母が亡くなるという覚悟は、ある程度出来上がっている。だからといって彼女が書き留めているエンディングノートや家の権利書の在り処がすぐに思い当たるわけでもないし、銀行口座や保険の加入状況もよく知らず、準備ができている、ということとは違うと思う。

入院なのであれば何をボストンバッグに詰めようか、脳は時間が経ってから突然症状が顕わになることもあるというが翌朝起きなかったらどこへ電話しようか、家の片づけには一体どのくらいかかるだろうか。母が帰宅するまでの短い間に、様々な「作業」が頭を巡った。

結局はCTスキャンの結果も問題なく、現在は目の周りが色濃く青黒くなっていて随分と眠れていない人のような様相ではあるながら(頭や顔の内出血は、時間が経つと下方へ下がってくるらしい。知らなかった!)、中身は元気そうだ。(誰も聞いていないのに句読点なく一方的に話し続ける様に、脳にできた血腫の影響か?と思わせられ、時折不安がよぎるけれど、元からの習性でもあり判別がつかないので保留。)

 

親しい人の死を経験した際の悲しみと立ち直りのプロセスには5段階があるというのは、精神科医のキューブラー=ロスが提唱した死の受容過程としてよく知られているけれど、失う前に喪失についてどれだけ考えたかが、そのプロセスにも影響してくるという。

母が亡くなるかもしれないという思った際に、動揺とか焦りとか、寂しいとか悲しいとかいう感情よりも前に、行うべき手続きや、やるべきことが真っ先に頭をよぎるというのは、母を失うということについてあれからずっと、父が亡くなってからずっと、うっすらと考えているからかもしれない。

私はずっと、独りになる準備をしている。

しかしたとえば交通事故とか、災害とか、そんな突然の出来事による死であったら、いくら考えているとはいえ、やはり狼狽えるのだろうなと思う。

とりあえず母より先には死なないように頑張りたいところ。

 

ジョギングの途中に、時速100メートルくらいで散歩をするおばあちゃんを追い越す。時速100メートルなので、私が折り返して走ってきてもまだ同じ方向に歩いていて、戻ってきてもまだ歩いている。3回目にすれ違った際に、どこで摘んだのか手にラッパズイセンを一輪握っていらして、あ、花泥棒、と思った。でも、おばあちゃんがおうちの玄関に黄色い水仙を挿している様を想像して、私もそんな散歩を楽しむ老い方をしたいなとも思った。

 

公園がめずらしく閑散としていたので、ジョギングの最後に鉄棒でプッシュアップを練習していたら、いつのまにか隣りの鉄棒に6~7歳くらいの女の子たちが3人群がっていて、私のほうをチラチラ横目で見ながら、同じように腕立てをしてみたり、器用にくるくると回っていた。「あ、スカート回り、上手だね」と思わず声をかけると、「できる?」と挑戦的な目力で見られた。「スカートはいてないからできないよ」と答えると、「はいてたら、できる?」とこれまた挑む姿勢。やー30年以上ねーやってないからなーわからないなーとモゴモゴしていたら、興味をなくしたのか、揃ってひらひらと走っていってしまった。何だかちょっと、負けた気分。

疾走する愛みたいに

電車内で向かいに座った女の子の、たたずまいがとても素敵だった。

真っ黒な潔いショートカットに、キリっとした眼差し。深い赤のリップ以外はアクセサリーもネイルもしていない。こなれたトレンチコートにブラウンのホースビットローファーを素足に履いて、ビニール素材の白い大きなトートバッグを膝に載せ、まっすぐと前を見ていた。

汚れた血』の時のジュリエット・ビノシュみたい。

スマホ越しに彼女を盗み見ながら、彼女の持っているバッグのロゴをググッて探し出して、彼女が電車を降りる前に、そのバッグをポチッと買ってしまった。

私が同じバッグを持ってみても、今のところはそんなに素敵じゃないけど、久しぶりにそわそわワクワクするような買い物をした気がする。

 

他のいい大人は果たしてこういうことをするのだろうかとか、自分の悪い意味での子どもっぽさに最近とみに疑問を抱くことが多いけれど、「元気?」ときくと、「相変わらずだよ」と毎年答えてくれる、しばらく会わないあの人にはほんのりホッとさせられるから、まあいいのかな、とも思う。

私ほど変わらないわけではないと思うけれどもね。

 

 

外国へ行きたいか

忘れもしない2011年3月、私はそれまで数年に渡って期限切れのままになっていたパスポートを再度取得した。

時は東日本大震災の直後、このまま日本から出られなくなるのではという漠然とした恐れと閉塞感に突き動かされ、震災から10日も経たないうちに新宿のパスポートセンターを訪れていたのだった。そこはかとなく息苦しい、息が詰まりそうだという感覚、今でも昨日のことのように憶えている。

「日本から一生出られないのと、一生日本に帰れないのと、どちらかしか選べないとしたらどっちがいい?」という質問に対しては、みんなどう答えるだろう?

私はそれまでもずっとかぶせぎみに「日本から一生出られなくて構わない」と答えてきていたのに、実際出られないとなると、途端に不安になる。ずいぶん都合のいいお話だけど、自らの意志で日本にとどまることと、他に選択の余地がなく日本から出られないこととでは、ずいぶん意味合いが違うものと受け止めてたということに、その時初めて気づいたのだった。

新宿のパスポートセンターは同じようなことを考えている人々でごった返して、何時間も待つのではないかしらとあらかじめ覚悟していたのだけれど、人の出は多くも少なくもなく、行列に並ばないわけでも並ぶわけでもなくて、そこにはただ淡々と、申請処理をこなすセンターの職員の皆さんの日常があった。

あれから10年、パスポートが更新の時期を迎えた。今回は新型コロナウイルス感染拡大という、あの頃には想像だにしなかった別の脅威で、事実上この国から出られなくなっている。生きてるといろんなことがあるもんだわ、と思う。

それでも家の外に出れば暖かい冬の陽射しの中で子供と犬がはしゃぎまわり、陽の光が水面にキラキラと乱反射する川沿いを散歩する老夫婦の横を、ジョガーたちが駆け抜け、一見変わらない日常がそこにある。みんなマスク姿ではあるけれど。

2021年3月、私はまたパスポートを更新しにいった。次に日本から出られるのが一体いつになるか分からない、もしかしたらもう一生出ることもないのかもしれないけれど、やっぱり更新しにいった。

この先もう2度と外国に行くことはなかったとしても、「コロナさえ落ち着けば、いつでもどこにでも行ける」と思えること─その日常に生きていたいからだと思う。

パスポートセンターは10年前よりも一層とても、とても静かだった。

 

皆さまもどうか元気で、お気をつけて。

 

さよならの向こう側

生まれて初めて胃カメラを飲み、生まれて初めて静脈麻酔を打った。

「麻酔が効きはじめたらカメラいれますね」という医師の言葉を聞いて後、看護師に両脇を抱えられて麻酔をさますための椅子に座らされるまで、まったく記憶がない。

麻酔が効くときというのは、寝落ちるときのように知らないうちに眠るみたいなものかと想像していたけど、もっとふいなものだった。スイッチが切られるように、パタっと意識がなくなって、それっきり。死ぬときというのは、あんな感じなんだろうか。誰も教えてはくれないことだけれど。

今日は亡くなった父の誕生日だった。

すっきりすることがない。

人の多い街中をなるべく避けて、住宅街にあるメキシコ料理店で、バスでゆらゆらと向かって落ち合った。料理の評判はまずまずながら、店主が無愛想で感じが悪い、という口コミがほとんどだったので、少し身構えて席に着いたけれど、美味しい料理や店内のかわいらしい装飾の感想を素直に伝えると、とても気さくに話してくれて、帰りにはお土産さえ持たせてくれた。人の感じ方や相性は千差万別、口コミの通りの事もあるし、まったく異なった感想を持つこともあるから、目安程度として受け止めるという感覚を忘れたくないと思う。

連休は計画的に無計画的に、意外と人と会うことができた。おそるおそる、場所と距離感に気をつけて。
この薄い膜のような非日常感、横隔膜の底を覆い続ける鬱々とした気持ち。これはいつまで続くんだろう。これが当たり前の日常になって、すっかり馴染んでいる日もくるんだろうか。それともみんなもう十分に適応していて、私だけが取り残されているんだろうか。

強くありたいと思ったわけではない

「君の態度やユーモアのセンスは、前の恋人を思い出させる。時々似てるって思う」とHに言われる。「それって喜んでいいとこ?」「もちろんだよ!」嬉しいようにも思うけれど、そうでもない気もする。Hは男性でゲイ。つまりは前の恋人は男性である。京都にいるという、Hの私に似た元カレのことを、しばし考える。

2つ前の会社の人たちと、オンライン飲み会。1対1で会うほど親しい人もいないけれど、数年おきにそれぞれ近況を伝え合う間柄だ。いつの間にか出会ってから10年が経っている。この最中の出来事やそれぞれの気持ちを、少しずつ話す。瞬時にタイポを見つけ出す校正力はたぶんあの会社で強化された技で、もう離れてしまった業界だけれど、今でも役に立っている。

通勤定期の払い戻しのため、駅の窓口に並ぶこと1時間半。ビニールに囲われた向こう側の係の方、何時間も何人もさばき続けてさぞかしお疲れだろうに、記入用紙を前に「ここよし、よし、よし、全部よし」と指差し確認、しごく丁寧な対応に頭が下がる。心からの「ありがとうございます、おつかれさまです」が口から出た。

今の仕事では随一の、大変な1週間だった。明日からも痺れるような1週間だろう。