父の履歴

もうすぐ父が亡くなって1年。
歯ブラシとか下着とか、もう必要ないことが明白であるものは母が早々に処分していたけれど、人が70年近く生きた軌跡を払拭するには1年という時間はまだまだ短すぎるようで、家のあちらこちらからまだ父が使っていた物が出てくる。

先日は「これパパが使っていたパスモ、返してきて」と母からICカードを渡された。

駅の券売機でまだ600円あまり残金があることを確認、そのまま取り出して窓口に行こうとしたけれど、ふいに思い立って『履歴表示』のボタンをタッチしてみた。

そこには、自宅の最寄りバス停から、父が聴講生として週に数回通っていた大学のあるバス停までの往復の履歴が、几帳面に、周期的に、淀みなく記されていた。何とも真面目な男である。と同時に、定年退職をしてからは、大学へ行く以外には交通機関を定期的に利用する機会ももうなかったのだなと思い至る。

この半径3km程の範囲のなかに、父の静かな毎日があったのだ。

 

履歴の一番最後だけは、片道。6月20日。この日に父は大学で倒れ、それから二度と我が家に戻ることはなかった。

 

結局私はまだ父のICカードを返却できずに持っている。履歴を見たことを、母には言わなかった。とりあえず残金を使ってしまおうと思っているが、その後にこのカードを返却できるかは、まだ分からない。