さようならの向こう側

2月の末に父が亡くなり、4月に愛猫が亡くなり、5月には父方の祖母が亡くなった。


文字面にするとなんとも壮絶で怒涛な印象だけれど、ドラマチックなほど悲嘆にくれるわけでもなく、大方が事務的で、滑稽で、淡々とこなされていった。


泣いていないわけではない。だけど起こったことの割には、日々はずいぶんとあっけない。


けれど、9年前に友人が亡くなった時のことは、今でもさして薄れることなく憶えているし、あれからも幾度となく思い出してきた。彼のことを取り乱さずに話題にできるようになったのは、それほど前のことではないような気がする。


比べることではないけれど、今回はさほど理不尽な死ではないから、すんなりと咀嚼できるのだろうか。
それとも、わたしがずいぶんと大人になったのだろうか。


まあ、父についてだけは、少し早く逝ってしまったなとは思うけれど。


死は気づいたときにはすぐ傍まできていて、あっという間にさらわれていってしまう。
そしてちゃんと夜は更け、朝が来る。


福岡の父の実家で、あの古い日本家屋で(今はもう取り壊されてしまったけれど)、整理整頓が苦手な祖母のせいで(ああ今思えばわたしの整頓下手は祖母の血なのか)、乱雑に物が入り乱れたあの居間で、晩酌をしながら炬燵に入って新聞を読む父の膝に(大好きなお酒を8か月も飲んでいなかったし)、猫がミャーミャーいいながらのぼっていって(猫は東京にしか住んだことがなかったけれど)、相好をくずして猫を抱っこする父、その父にとりとめもないことを話しかけながら台所と居間を行き来する祖母、ずいぶん前に亡くなった、祖母の愛犬もいるかもしれない、


思い描くのは、そんなありえなかった光景。
そんなふうにあちらでも、穏やかに時が繰り返しているといいと思う。