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偏愛ということ。

わたしは幼い頃から、どこか偏った人が気になってなりません。
たとえば人の内面を表す分電盤の針のようなものがあったとしたら、それが真ん中で小さく振れている人ではなく、大きく右か左かに振り切ってしまっているような人に、とても惹かれてしまうのです。
それが善いことであれ悪いことであれ、対象が男であれ女であれ、どんな種類の感情であれ。
わたしはそれこそ針が真ん中で振れ続けているような、比較的温和で凡庸な人間なので、「自分にはないものに惹かれる」という感覚なのだと思います。
周りが見えなくなるくらい何かに偏ってみたいけれど、常識的なふるまいから逸脱できず、そもそもそんな偏った情熱もなく、だから自分にはない、偏愛する何かを持っている人が羨ましくて、強く惹かれるのです。


あなたが主役50ボイス』(NHK)を観ました。
ひとつの質問をその場にいる50人の人物にぶつけ、その答えを見ていくという、たいへんシンプルな番組。しかし、普段出会うことのないような職業や嗜好を持った人々の声を聞くことができるのはとても面白い、目からウロコが落ちるような観点やへぇ〜というような知識に出遭えたりします。


今回の現場は、東京藝術大学
様々な芸術家を排出している才能の原石の宝庫、面白くないはずもなく。
ぶつけられたのは、「これってワタシだけ?」と思うことは何ですか、という質問だったのですが、奇人変人がわらわらと出てくるでてくる!


パンストで自分の大好きな友達の顔を何十個も製作し、天井からぶら下げて悦に入る男子。
切った爪を集めて作品に仕上げる女子。
ヤモリばかりをつくる鋳金専攻の男子。
ブタの脂肪を大量に集めて人間の形を創作する美術解剖学専攻の女子。




一体どんな育ち方をしたら、どんな思考回路の果てに、そんな表現が産まれるのでしょうか?想像もつきません。
彼らは「面白いことをやってやろう」としているのではなく、ただただ自分の内から湧き出てくる創造を表現しているだけのように見えました。
「ここにはもう二度とこないだろうという場所にくると、絵を描かずにはいられなくなる」という日比野克彦氏の言葉が印象的。そういう衝動があってこその芸術家、逆にそれがないと芸術家ではないのかも。日比野氏は北極に行ったとき画材がすべて凍ってしまい絵が描けず、アザラシの血(!)を使って描いたそうです。


件のブタの脂肪の女子は、「価値のないものに価値を与えてあげたい」とコメントしていましたが、すばらしい偏愛精神だと思いました。


ああ、彼らみんなをぎゅっと抱きしめたい、愛おしい。ずっとそのままでいてほしい。
でも生活していくにはお金を稼がなきゃいけなかったり、創作はお金にならなかったり、生活には創作以外の時間が必要だったり、様々な芸術以外の要因が、彼らのうちの多くを少しずつ疲弊させ、真ん中に近いところに針の照準が合わせられていってしまうのだろうな。


だけどできるだけ彼らがみんな、あのまま我が道を突っ走っていられますように。つまらない常識なんて憶えず、ずっと好きなものを好きと言っていられますように。
そんな社会を、作っていけますように。


30分の間に、色々と考えさせられる番組だったのでした。