わたしのシックスセンス。

本にも「ご縁」というものがあると思います。
ふと立ち寄った書店で、「オレ読んでーオレ読んでー」と強烈に語りかけてくる本ってあります。
そんなときには、どんなに高い本でも誘われるまま、彼をレジへと連れていってしまいます(高額商品であった場合、あとで若干後悔)。
逆に、書評やテレビで見かけて「読んでみたいな」と思って探しても、行った書店で品切れだったり、棚が分かりにくかったりして、一向に出会えない本もあります。


出会えない本にムリヤリ出会って読んでもたいして心に響かず、直感に導かれるまま読んだ本は、得てして自分の血肉となります。


というのが、これまでの人生で行き着いた読書ノウハウ。
まあ、それは、おそらくある程度の量の本に出会っていかないとピンとこないことでもあり、中高生くらいの年齢からそんな選り好みをしてはいけない、とは思いますが。そろそろ食わず嫌いをしてもよい年齢なのではないかと(ダメ?ダメ?)。


何にせよ、そういう「ご縁」に対する第六感は、人に対して、本に対して、物に対して、何に対しても、常に研ぎ澄ませていたいなと思います。


村上春樹『1Q84』。

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1

わたしは特に「ハルキスト」ではなく、村上氏の全作品を読んではいませんが、氏の言葉の選び方や世界観は好きな方、『パン屋再襲撃』のような短編集がとても好きです。
長編は自分で買うほどには食指が動かない、「貸して」と人に頼むまでもない。いつかは巡ってくるだろうと思っていたら、案の上、巡ってきたので、まずはBook1を読みました。


まだ「ふうん」という感想ですが。印象に残る節は多々あります。


自分を損なうようなことは何もしていない。それでも何かは静かにあとに残るのだ。ワインの瓶の底の澱のように。

ゆきずりの関係、愛情の伴わないセックス、戯れだけの不倫。


「減るもんじゃないし、自分は割り切ってる。避妊や性病にだって気をつけてる。一体何がいけないの?」


と問われたときに、


「たしかに減らないけど、それでもやっぱり何かが減る気がする」


とわたしは感じていて、でもそれがどうマイナスなのか、ずっと説明できずにいました。
目の前の扉がひとつ、ささやかに開けた気がしました。


言葉では表現できない、自分が抱えている奥深い感情や微細な思いを、誰かが言葉にして見せてくれる─
それが読書の大きな醍醐味のひとつであり、だから口不調法なわたしの生活は、いつも本と共にあるのだと思います。