年の瀬の足音。

自問自答してる間に、今年もあと2ヶ月です。


西麻布のHOUSEでココット料理を食したり、恵比寿のALMAでイタリアンを食したり、池ノ上のタケハーナで将来設計(妄想)をたてたり、していました。
タケハーナは何度行っても絶品だし、落ち着くなあ。ALMAは感じのよいお店だったのでまた行ってみたい。
東京は、食べても食べても食べきれません。


因果応報、ということについて、ここ3〜4年考えています。
「ひどいことをされたなあ」と落ちこむことがあるけれど、よくよく思い起こせば、それは自分が以前別の誰かに対して為したことにとてもよく似ていて、そのときのわたしには一体それがどれだけの意味をもってしまうことかなんて、まったく判っていなかった。
考えてみれば、そんなことばかりなのです。
what goes around comes around.
自分に降りかかるつらめな出来事が全部因果応報ゆえのことだとすれば、そろそろプラマイゼロでチャラになりはしまいかと期待するのですが、こうしている間にもわたしは誰かをひどく傷つけたことを気づかずにいて、またはもっと取り返しのつかないことを思い出せずにいて、そうしてまた、因果は巡るのかもしれない、と思います。
それまで描いていた人生が覆るような衝撃的で悲しい出来事を経ても、ほとぼりが冷めればなんのことはない、わたしは何ひとつ学んではいず、また繰り返すのです。


と、そんなふうに自分を責めたててしまうとかえって妙な因果スパイラルに陥りそうですが、せめて善いことも巡りはしないかと、願ってみます。


日岡崎京子の話題になったとき、「僕は岡崎京子は好きで読むけど魚喃キリコは好きになれない」と言った男性がいました。そういえば、学生の頃にも同じことを言っていた同級生男子がいました。
なんだろう、それって男性には『SEX and the CITY』の面白さがわからない、というのと同様のことでしょうか。男が見たくない女の部分、なのかな。

痛々しいラヴ (Mag comics)

痛々しいラヴ (Mag comics)

わたしの初・魚喃キリコは『痛々しいラヴ』。相当切ない気持ちで読んだ憶えがありますが、今読み返すと、その痛みや切なさを解りつつも、過ぎ去ったリアルというカンジ。


気がつけば、わたしも相当遠くまできたものです。