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学生時代は、文学部で社会学を専攻していました。
ご多聞にもれず、「大学生活って何してたっけ?」というほど呆けていたので、社会学については講義の内容も卒論で何を論じたかさえも、朧気にしか覚えていません。しかし専攻外の、なんとなく興味があって履修していた仏教関連の講義の内容は、不思議とよく憶えています。

人間の死後には六つの世界があるそうです。六道といいます。
人は亡くなってから初七日から四十九日まで、七人の王様に生前の行いを審理され、どの世界にいくかを決められます。いわゆる閻魔さま、あれは三十五日目の担当だそうです。
ご丁寧なことに、七回の審理で決まらない場合も考慮されていて、追加で三回審理が受けられます。それが百ヶ日忌、一周忌、三回忌だそうです。

友人が亡くなってから2年が経ちました。三回忌、もうどこの世界に行くかは決まったのかな。
わたしは宗教を持ちませんが、親しい人が死後にゆく道を空想できる、そんな悲しみの抜け道があるということは、残された人のよすがになるのだろうと思います。信仰とは、そういうことでしょうか。

あのとき電話に出ていたら、あの日電話をかけていたら、あのメールを返していたら、あの約束を断らなければ、あの日仲違いしなければ、小さなことに拘らなければ、笑いとばして、あげられてたら。

小説や映画では、目の醒めるような誰かと出会ったり鱗が落ちるような出来事があったりして、納得したり結論をつけたり救われたり前向きになったりするようですが、そんな分かりやすい起承転結は、どこにもありませんでした。あれから楽しいことやうれしいことがたくさんあることも、事実なのですが。


今でもたくさんの「もしも」が巡り続けます。