中島たい子『漢方小説』を読む。

「あなたみたいな人たちのお話っていうイメージ。中央線な人々というか」と会社の人に言われる。
どうも会社では"この人はサブカル系"という扱いを受けはじめていて、不本意である。違うんだよ、ほんとのサブカル系ってもっとすごいんだよ。大学にいっぱいいたよね。ってかサブカルってもう死語ですかね。10代の皆さん、わかりますか。

漢方小説

漢方小説

しかしこの小説は好きである。新しいタイプのハートウォーミングだ。
主人公は売れっ子でもなく仕事がないわけでもない脚本家。
元カレの結婚話を聞いて、原因不明の痙攣や胃痛に教われ病院に運ばれるのだが、それは病名のつくような病気ではなく。
西洋医学で埒があかぬのなら、東洋医学か?と思い、漢方医に通いはじめるのである。
そこで、漢方の奥深さに触れ、東洋医学を突き詰めるに伴って、自分や周りの人々を振り返りはじめる。
その過程の淡々としているところがかえって現実的。
登場人物の皆がどこか病んでいて、表現を借りれば、"精神があさっての方向を向いている"様がとっても可笑しい。可笑しくて切ない。
思わず噴き出してしまうような現代的なユーモアありつつ(たまにはずすところもあるが)、きゅんとくる青臭さありつつ。読後、小さな希望が湧いてくる。
描写がとっても映像的で上手、特にラストは直後にテロップが流れるところが容易に浮かぶような。なるほど、作者はもともと脚本家である。
しかし漢方の豆知識や東洋医学についての見解がとくとくと綴られるあたり、これはドラマでは苦しいかな。やはり小説であるべくして小説であるのだ。


"人間はおかしくって、哀しい。"
これは映画『ファーゴ』公開時のキャッチコピーであるが、わたしの物語の好みはここに集結しているといつも思う。
たくさんの物語に囲まれる毎日であるが、洗練されすぎてても俗っぽすぎても心を動かされない。少しだけ偏執的であったり滑稽であったり、そのちょっとだけアンバランスなものがさそう切なさ、そういうのが好きだ。
こういう好みはきっと誰にでもあって、自分は自分として保ちつつも、誰がどんな物語を好むかを見極める客観性を持つこと、これがわたしのこれからの仕事の課題でもある。