市川準監督『トニー滝谷』を観る。

演劇のような作品である。
空き地に白いステージを組んで、装飾を加えたりはずしたりするだけで、ほとんどの場面をそこだけで撮ったという。浅い色彩、空白だらけの画、空気がとても薄く思える。なんという独特の映像であろう、哀しみを誘いながらも美しく、いつまでもそこに浸っていたい気持ちになる。静謐な中の、なんという愁嘆であろう。直接的な表現は何もないのに、画面いっぱいに喪失感と孤独感が溢れている。ひっそりと泣く。
西島秀俊の静かで深いナレーション、作品ごとに魅力的になる宮沢りえ、そしてなんといっても、浮遊する泡のようであるのになぜか忘れがたい存在感をみせる、イッセー尾形。厳選された、すばらしいキャスティングである。
坂本龍一のピアノも、さすがである。

多くの物、しかも一生かかっても買えない量の物、叶わない物に包囲されて、それがみんな「あなたにぴったりですよ」「あなたにぴったりですよ」と言い続けているわけじゃないですか。その時の、孤独感、ひとりぼっち感みたいなもの、それが今を生きている人の心であるような気がするんですよね─
(『トニー滝谷』パンフレット、市川準監督インタビューより)


自分が縁どれずにもどかしいものを言葉にしてくれる人がいる、それは悔しいがとても幸福なことだ。その術をずっと、模倣し模索するばかりだ。


村上春樹の『レキシントンの幽霊』は発売時に読んだ、というか実家に本があるので当然読んだはず、なのだが、まったく思い出せない。思わず物販で文庫本を買ってしまった。

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

どうも村上春樹とは相容れないようである。誰かが切り取って見せてくれた"村上春樹"はとても魅力的に思え感動さえさせられるのに、自分で触れた村上春樹はすんなりとスルーしてしまう。
いいとは思う、いいとは思っているのだけれども。結局、主旨や内容は好ましいが、表現の仕方がしっくりきてないということなんだろうな。寂しいな。
確実に才能ある人だと納得できる人の良さをほんとうには理解できないということは、とても寂しい。


作品中のりえちゃんのお洋服がとっても、とってもカワイイ。
中でも好きだったのは、コーラルオレンジのノースリーブに千鳥格子のストールを巻いて、黒いベレー帽。
真似してもりえちゃんみたいにはならないんだろうなー。かわいいなー。20代真ん中くらいはぎすぎすしていて「あれ?」というカンジであったのに、30歳を越える前くらいから、彼女はどんどん、どんどん輝きを増してゆく。そんなふうに歳をとりたいものである。


電車から夕焼けが見えたので、目的地からひとつ前の駅で降りてみる、歩道橋にのぼる。
ひさしぶりに夕焼けを仰いだ、もうすぐ冬の終わる色だ。
空気が澄んでいるためか、今夜は三日月もとてもくっきりしていて、きれいです。