あと100日。

おおはた雄一の「おだやかな暮らし」という曲をはじめて聞いたとき、Radioheadの「No Surprises」を思い起こした。以来、どちらの曲を聴いても、もうひとつの曲のイメージがオーバーラップする。

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わたしは音楽理論には明るくないので、リズムとかコード進行とか、そういうことは一切分からないのだけれど、そして歌詞の意味も、意図するところや方向性は双方まるで違うとは思うのだけれど、ひとつ共通する思いが聴こえてくる。

 

”普通”への渇望。

 

そう言うと、「”普通”って何なの?」と問題提起してくる人が必ずいるけれど、多くの人が大なり小なり、強く弱く、共通して思い描く”普通”というのはやっぱりあると思う。

それは、家族と家だ。

朝送り出し夜迎えいれてくれる家族がいて、家族が毎日おいしいご飯を食べていけるための仕事と、家族が温かく暮らせる家があることだ。

 

後戻りができない齢までくると、もうひとつの未来があったはずもないことは自分が一番分かっているし、今の自分を否定することも大概ないけれど、連休をただテレビを観て寝て無為に過ごしてしまうことがあると、美術鑑賞でも友人や恋人との会食でも、刺繍でも読書でも何でもいい、何か生産的なことはできなかったのかと自責の念に駆られてしまうことがある。「生産的なこと」、それが「いつもは仕事で時間がなく遊んであげられないでいた子供を行楽地へ連れていく」ということだったら、どんなにわかりやすいだろう、と思ってしまう。

 

今年もあと100日だ、とテレビでニュースキャスターが口々に言う。

100日後、わたしは誰といて何をしているだろう?

わたしはいまだにそれがはっきりとわからない生活をしている。

Be Yourself No Matter What They Say

仕事でシンガポールに行ってきた。

 

シンガポールの取引先のオフィスでミーティングをしていると、社員の一人がおもむろに立ち上がり、部屋の角に絨毯を敷いてその上にひざまずき、祈りはじめた。

その取引先の社長と社員がイスラム系だということを、わたしはその時初めて認識した。

彼が祈っている間も、他の社員は談笑しながら働いていた。日常のひとコマなのだなと感じた。

 

「日本人と中国人はやたらと夕飯に誘ってくれるけど、僕はムスリムだからね、ハラールがあるんだ。だから悪いけど誘わないでほしいよね。アハハ」と取引先の人は笑った。

 

シンガポールは多国籍民族の国家である。

イスラム系、インド系、中国系を主として、様々な民族と文化が見事に共存していて、ヒンズー教の寺院のすぐ隣りに中国の観音堂が建てられていたりする。ほとんどのシンガポーリアンは公用語の英語以外に自分のルーツの言葉も話すので、街を歩いていると色々な言語が飛び交っている。

誰が観光客で誰が地元の人なのか、みんな一体どこから来てどこへ行くのか。

 

スティングのEnglish Man in New Yorkが中学生の頃から好きだ。


Sting - Englishman In New York - YouTube

簡単に言うと、イギリス人がニューヨークにやってきて自分がエイリアンのように思える、という歌なのだけれど、わたしも住む先々で同じ気持ちを感じたことがあった。

 

わたしは幼少期と思春期を途切れとぎれに日本と海外で育ったいわゆる「帰国子女」で、4~5年周期で移住していた。

幼い頃に渡った南の島国では「見たことのない黄色人種の子」として一挙手一投足が注目され、日本に戻ったら戻ったで「外国から来た変わった子」というこで学年中から指をさされて話題にされた。イギリスでは通りすがりに「イエロージャップ!」と叫ばれたこともあるし、ドイツでは中国人の口真似をする現地の学生たちに追い回されたこともある。

外国でのマイノリティ体験を自分の人生においてプラスとして昇華できる人々もいると思うけれど、わたしはそれを斜めに受け止めすぎたあまり上手に進化させることができず、ひねた優越と劣等の間でしばらく漂っていた。

 

だから、だろうか。ロンドンより台北よりベルリンよりソウルより、シンガポールのような都市が落ち着く。

いろいろな肌の色の人がいて、いろいろな言語を話し、アジアだけど欧米の空気感もある。どんな国籍の人も注目されない。人混みに紛れられる。それは寛容や受容ということとは違い、「特に気にしない」ということなんだと思う。

自分の出自にある習慣や文化だけが、世界では常識ではないということ。それが常識である街で育つということ。

 

ここ数年で東京には外国人観光客が倍増した。新宿あたりで信号待ちをしていると、自分以外の周りが皆中国や東南アジアの人々だったりすることもあるくらい。デパートや薬局、家電量販店の掲示物には日本語の他に、中国語・韓国語・英語が書かれている。

シンガポールとまではいかないけれど、こういう街を見て育つ子どもたちは、どんな感覚になるのだろう。

机の上にひっくり返した、かたいイス

仕事関係の方のイベントで、いくつかのバンドのライブを観る機会があった。

大バコではない小さなライブハウスでのライブ。いわゆる「メジャー」ではないバンドとの出会い。

それ自体がとても久しぶりで、少しノスタルジックな気持ちになって、少し気持ちが昂揚していた。

 

学生の頃は、友達のだったり友達の友達のだったり、通ってた、とまでいう頻度ではないながら、下北沢や吉祥寺、新宿や青山の小さなライブハウスやクラブに出入りすることは、日常的にあった。

しかし、バンドやDJをやっていた人も就職して結婚していつのまにか活動をやめ、今でも大なり小なりバンドやDJを続けている噂を聞く人もいるけど、そんな人たちとはいつ頃からか疎遠になってしまって。何よりいつのまにか、自分の生活がライブハウスやクラブから離れたサイクルになっているということだ。

 

4つ観たステージのうちのひとつの、三回転とひとひねり、というバンド。

4ピース編成の彼女たちの実際の齢は知らないけれど(おそらく10歳近く下なんじゃないかと思う)、演奏も演出も外見も、なんだかすべてがすごく初々しく見えて、観客を少し突き放した感じの素振りがまたとても青臭く感じられて、導入は「あ~若いね~」で過ぎ去るだけのはずの印象だった。

でも、ある曲をしばらく聴いていたら、死んでしまった高校時代の友人のことを、すごく、すごく思い出した。

 

『廃校が不服』という曲らしい。


【フル試聴】 三回転とひとひねり『廃校が不服』 - YouTube

 

学校や学校時代の友達のことを描いた曲だからだろうか。曲の間中、教室や授業や、廊下や中庭や、学校の色々な場面でのあの頃の彼を、どっぷりと思い出した。ついでに、退屈だった古文の先生の顔と名前も思い出した。

一緒に観ていた会社の人たちは気づかなかったし、むしろうとうとしていたけれど、わたしは少し泣いた。

こんなポエムを読むみたいなパフォーマンス、いくらでも世の中にはあるしたくさん聴いてきたはずなのに。小さな懐かしいライブハウスで、わたしは確かに揺さぶられた。

 

彼が死んでから、今年でちょうど10年だ。あっという間だ。あっという間ではなかったほど苦しい時もあったけれど、やっぱりあっという間だと思う。

彼は9.11は体験したけど3.11にはいなかった。いろんな人が亡くなったのも、友だちがたくさん結婚したのも、彼らがお父さんやお母さんになったのも、見ていない。
だけどなぜだろう、彼が今のわたしより10歳も若いままだなんてちっとも思えなくて、今でも彼とわたしの時間は平等に流れているように感じるときがある。

うまく言えないけれど、齢をとって久しぶりに行ったライブハウスで、またあの頃みたいな気持ちで初めての音楽を聴く、そんなことだろうか。

あの日、彼がマンションのベランダから飛び降りたのか、落ちちゃったのか、それは10年経ってもはっきりとは分からないけれど、その真ん中くらいだったらいいと、今は思う。

お墓には誰もいません、なんて嘯いてしまって、毎年彼のおうちにしか行かないけれど、今年はお墓にも行こう。

仙人の欠員

間もなく会社を辞める人を誘って、いっしょにお昼ごはんを食べた。

夜に飲みに行ったことはあったけれど、思えば明るいうちにご飯をいっしょに食べるのは初めてだ。なんだか変な感じでもあったけど、話し出すと、とたんに飲み屋みたい。

人の悪口を言わない、嫌がらない、受け容れる、怒らない、斜に構えない。

仙人のような人でした。

パスタランチを向き合って食べるのは、きっと最初で最後。これまでありがとう。これからの日々が、健やかで得るもののが多いときとなりますように。

 

今月もうひとり、夏にはまたもうひとり辞めていく。なんだかそわそわした日々になりそうだ。

 

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BOOKSOUNDS、面白いアイデアだ。

水の中のナイフ

お誕生日はどこでディナーしたい?と聞いたところ、水槽のあるお店がいい!と彼は答えたらしい。まったく、ゲイの彼らは、わたしよりよほどロマンチストな面がある。

というわけで、どしゃぶりに降られながら、青く薄暗いお店でお誕生日会。

バブル時代はこんなお店ばかりだったんじゃないかな、というイメージです。

イソギンチャクが動いた、あの魚はうんこしてる、唇がヘルペスみたいになってる、あれは食べられるのかな、いやコレ生け簀ではないし。わいわいと魚を観察しながら、魚を食べる。

 

すっかり雨が上がって、月明かりにがっつり照らされる帰り道。

お誕生日おめでとう。厄落としも済んで、きっと残りはよい年になりますよ。

 

馥郁たる春を待つ

3~4年前からお直しどきだと思っていたけれど、高額な修理代にひるんでなかなか思い切れなかった黒いライダースジャケット。しかし、久々に着ようと思って引っ張り出したら、さすがに色の剥げ方と皮の破れ方がみずぼらしいレベル…

えいやと思い立ち、いよいよ修理とクリーニングに出してきた。

「結構着込んでいらっしゃいますね。何年前にご購入されました?」というお店の方の問いに、「えっと…15年くらいですね」と答え、我ながらびっくりした。

買った時のことはいまだ鮮明に憶えている。今でも世の平均以下であろう給与が、更に雀の涙ほどの金額だった頃、6万円を超える本革のライダースジャケットは、わたしにとってとっても高い買い物だった。その割には即断したほど、袖を通した瞬間に気に入ってしまった。

特に有名なブランド物ではないけれど、イタリアからのインポートで、細身すぎず多少のゆとりもあり、丈は腰骨にかかるくらいで短すぎない、シンプルなシングル。

 

もともとのミーハー気質から色々な服を着たい気持ちが強くて、服はチープなものを好んで着てきた。

おしゃれな友人たちや、ソニア・パークみたいな、マガジンハウスの雑誌に出てくる人たちに強い憧れはあって、彼らみたいにシンプルな色合いで上質なセーターやシャツも持っていたいけど、これを買ってしまったらワクワクするような色やデザインの服を買うことができないし…(お金、ないし…)
安くて流行りのものは、2シーズンくらい着たら繊維も気持ちも劣化してしまうものが多いのは自明だ。分かっていながら、“安物買いの銭失い”を王道でいき、フェアトレードやエコとは真逆の嗜好を持つ自分に、少々嫌気はさしていた。

だけど、大切に長く愛用しようと意識したことはなかったけれど、本当に気に入ったものは、私でもこうして長く使えていたのだ。
そういえばあのブーツも、バッグも、このネックレスも、バングルも。バングルに至っては、何度も修理に出して、修理代が購入額を超えてしまっている。


齢を重ねて、あらゆるトライアンドエラーを繰り返して、自覚のないうちにも取捨選択の力がつき、自分にとって不要なものは削ぎ落とされ、本当に便利で大切なものだけが手元に残っていく。

いくら雑誌で『長く着られる服』や『スローファッション』というような特集を見ても憧れても、自分には適用できずにもどかしかったけれど、いつのまにか、地で『長く使う』をいっていた。

憧れだけでは到達できなかった場所へ、実体験を積み重ねて、ようやく近づくことができていたということだ。

 

ライダースのお直しはだいぶ混んでいて、出来上がりまでなんと1ヶ月待ち!この春にちょうど間に合うか間に合わないかの時期だけれど、どんな顔をして帰ってくるのかが楽しみだ。

 

夕飯は、通りすがった中目黒の八じゅう。

壁に描かれたリリー・フランキーのサインがかわいい。店員さんも皆にこやかで親切。尾道焼き、初めて食べた。

 

世間は不穏なニュースばかりだし、会社の先行きは不安だし、アレルギー全開で体調は低空飛行だし。ここのところ打開策もない靄のなかで気持ちが落ち込みっぱなしだけど、春に向けて、少しは前向きにシフトできるかな。