さようならの向こう側

2月の末に父が亡くなり、4月に愛猫が亡くなり、5月には父方の祖母が亡くなった。


文字面にするとなんとも壮絶で怒涛な印象だけれど、ドラマチックなほど悲嘆にくれるわけでもなく、大方が事務的で、滑稽で、淡々とこなされていった。


泣いていないわけではない。だけど起こったことの割には、日々はずいぶんとあっけない。


けれど、9年前に友人が亡くなった時のことは、今でもさして薄れることなく憶えているし、あれからも幾度となく思い出してきた。彼のことを取り乱さずに話題にできるようになったのは、それほど前のことではないような気がする。


比べることではないけれど、今回はさほど理不尽な死ではないから、すんなりと咀嚼できるのだろうか。
それとも、わたしがずいぶんと大人になったのだろうか。


まあ、父についてだけは、少し早く逝ってしまったなとは思うけれど。


死は気づいたときにはすぐ傍まできていて、あっという間にさらわれていってしまう。
そしてちゃんと夜は更け、朝が来る。


福岡の父の実家で、あの古い日本家屋で(今はもう取り壊されてしまったけれど)、整理整頓が苦手な祖母のせいで(ああ今思えばわたしの整頓下手は祖母の血なのか)、乱雑に物が入り乱れたあの居間で、晩酌をしながら炬燵に入って新聞を読む父の膝に(大好きなお酒を8か月も飲んでいなかったし)、猫がミャーミャーいいながらのぼっていって(猫は東京にしか住んだことがなかったけれど)、相好をくずして猫を抱っこする父、その父にとりとめもないことを話しかけながら台所と居間を行き来する祖母、ずいぶん前に亡くなった、祖母の愛犬もいるかもしれない、


思い描くのは、そんなありえなかった光景。
そんなふうにあちらでも、穏やかに時が繰り返しているといいと思う。

年賀状はまだ書いていない。

世界で使われているmade in Japan製品を探すというテレビ番組の企画で、ギリシャの小さな田舎街にある小さな理髪店がクローズアップされた。
そこには42年前から使われている日本製の理髪店専用のセットイスがあって、お店のお客さんである近所の人たちは口々に「このイスは最高に寝心地がいいよ」「他にないからまた座りに来ちゃうんだ」とイスを絶賛、店主である理容師さんも、とても大切に丁寧にそのイスを使い続けている様が映し出された。


その番組のすごいところはそこから。


70代〜80代のお爺さんたちが集められて、そのVTRが見せられる。彼らは40数年前にそのセットイスを製造販売していた会社に勤めていた人々。職人であり、事務方であり、海外営業であり。かつてセットイスを作り売ることに情熱を傾け、誇りと生活を賭けて尽力した人たちだった。
彼らは遠い国の片田舎でイスが使われていることに少し驚き、「こんないい状態でまだ使ってくれてるんだ」「革を張り替えてあげたいね」とVTRに見入る。
そこでギリシャ人の理容師さんは、カメラに向かって満面の笑みでこう言った。


「こんなにすばらしいイスを作ってくれてありがとう。このイスのおかげで私は子供を育て学校に行かせることができたし、街の人たちも幸せだ。ありがとう」


お爺さんたちはえも言われぬ表情をしていて、涙ぐんでいる方もいた。わたしも画面の前ではらはらと泣いてしまった。


そのイスの会社はまだ存続していて、いま現役でその会社に勤めている人たちもそのVTRを見せてもらっていた。VTRを観た後の「嬉しいですね」「また明日からも頑張ろうと思います」という彼らの姿はとても頼もしく、やる気に満ち溢れていた。


生きているとそりゃあ迷うことも不安なこともたくさんあって、いつも見失いそうになるけれど、わたしが今までやってきたこともこれからもやっていきたいことも、こういうことなんだと思う。それは仕事のことだけではなくって。


大義を見失ってはいけない。


年賀状は徐々に書きます。みなさんお元気でしょうか。
2013年もみなさんにとってすばらしい年となりますように。

忘れてはいない。

I think it translates better in Japanese, but...
「手伝わせていただく」。
「手伝う」んじゃなくて。

It's them letting us help.
God or whoever saved my life from this disaster is allowing me to help.

彼がこの言葉を言う部分を観て、涙がでた。
外国人なのに、というより、彼らだって被災者なのに。


なんだか人気のあるバンドね、外国人なんてめずらしいのね、
という程度の認識しかありませんでしたが、
わたしはこのドキュメンタリーを観て、MONKEY MAJIKが好きになりました。
この曲も、すばらしい支援ソングだと思う。

無力に思えても小さいことでも、みんなが行えば力になる。
わたしにもまだできることがたくさんあるなと思います。
力になりたい。


お兄ちゃんのメイナードが、
FreetempoSky high』のボーカル・blancだっていうことも初めて知りました。
大好きな曲。

自分の好きな声というのは確実にあって、いつも無意識に反応してる。

怠惰を逃れる術がない。

中原中也の『山羊の歌』のなかに『憔悴』という詩があって、
わたしは休みの日が終わるたびに、このフレーズを思い出します。

「あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰をのがれるすべがない!」

休みを前にすると、
普段毎日の仕事やおつきあいに追われて疎かになっていること、
やりたいと思ってやっていないことを思い浮かべて、
休みがきたらあれもやろうこれもやろうとウキウキするのですが・・・


結局、いつのまにか休みの終わり。
何もできていない。


中原中也、あなたは核心を知っていたよ。

山羊の歌―中原中也詩集 (角川文庫―角川文庫クラシックス)

山羊の歌―中原中也詩集 (角川文庫―角川文庫クラシックス)

でも、きっと今年も足ることを知らないんだろうなという自分が、
頼もしくもある2012。


みんなにとって実りある、楽しい1年となりますように!

安定のための安定には疑問がある。

やることが山積みで慌しくて、
脳ミソの中枢がジーンとするような日々を送っています。

万祝<まいわい>(1) (ヤンマガKCスペシャル)

万祝<まいわい>(1) (ヤンマガKCスペシャル)

そんななか、ひょんなことからどさっとお古をいただいて、
望月峯太郎『万祝』を一気読みしています。


主人公の女子高生フナコちゃんは、
気分が高揚すると自分で自分のおっぱいを揉んじゃうのですが、
その気持ちがひしひしと伝わってくるような、
胸が熱くなる海洋冒険譚です。


「海はまるで人生そのもののようだ
 波は止まることなく動いて海を作っているが
 動かなければ一枚の風景になってしまう」


しかしこれ全11巻なのですが、
いただいたの9巻までなのですね。
まあこの流れだと、10巻と11巻は絶対に買いますね。
そしたらいただいた人に貸してあげるという交換条件での譲渡だったのです。


ん?ってなんか、妙?合ってるよね?


凪いでいたわたしの海にも、風が吹いてきた気がします。

夏の魔物に会いたかった。


大人の夏休みが終わってしまいました。
ええ、3ヶ月近く無職でした。


職はいくつか変えてきたけれど、
前職の間に職を決めなかったことははじめてで、
1週間を超えて休むことも、社会人になってから初めてでした。


「せっかくなんだから旅に出なよ!」という進言がほとんどだったし、
わたしもさすがにどこかに行こうと思ってましたが、結局…


都内および近郊をうろうろして、過ぎていってしまった!
普段となんにも変わらないじゃないか!


でもなんか、すごく有意義だった気がする。
気がするだけかしら?
いや、でも、たぶん。


やったことを、まとめてみよう。


■アート
ハイメ・アジョン展@渋谷西武
岡本太郎展@渋谷パルコ
名和晃平展@東京都現代美術館
ミン・ウォン展@原美術館
フレンチウィンドウ展@森美術館
和田誠展@世田谷文学館
…ほか、ちっちゃなギャラリーもいくつか。


■映画・ドラマ
キッズ・オールライト
ブラック・スワン
100,000年後の安全
コクリコ坂から
『人生、ここにあり!』
…ほか、DVDでいっぱい。


…ほか、海外ドラマも全ドラマ合わせて4シーズン分くらい観る。
1シーズン24話として、96話?


■本
たくさん


■美味しいお店
たくさん


そして、とにかく飲みました。
しばらく会えなかった友達に何人か会いました。
いつも会ってる友達には何度も会いました。
一度しか会わないだろう人にも、たくさんたくさん会いました。


よく走り、よく自転車に乗りました。
料理・掃除・洗濯もしました。
チャリティーやボランティアに参加しました。
ライブもDJイベントも行きました。
祭りも行きました。
父と母と、祖母と兄家族にいつもより頻繁に会ってたので、
家族孝行にも、なったのかな。


結婚するわけでもないし、フリーになるわけでもないし、
ましてや病気なわけでもないし、
その齢で無職になって、一体どうするつもりなの?
と、口に出して出さないで、非難されることもあったし、
わたしも2割くらい、不安に思わないでもなかった。


でも8割は… 伸び伸び生活を楽しんでおりました。


決断をしていくと、つらいことや悔しいこと、
苦しいことだっていっぱいある。
選択したがゆえに、逆に手に入らなくなるものも、
いっぱいある。
ぼんやり流されて生きてるよりも、そりゃまあ数倍。
だからって喜びも倍になるかというと、
そうとも限らない。


でも、自分で決めたことであれば、
全てを引き受けるって覚悟ができるし、
隣りの芝生だってあんまり青々しくは見えない(たまに見えるけど)。
いつもそれだけが、生きる主軸。


そして、
人生を自分で考えて選んで決めて来られたことを、
そういうふうにわたしを守り育ててくれた家族がいることを、
自分を信じて見守ってくれる友達に恵まれていることを、
わたしはこのうえない幸福と思って感謝すべきなんだと、
いつも思う。


文句を言う余地はない。


とりあえず、また本の仕事をしています。
今回は海外にも行くようです。
まあ、3ヶ月後くらいに同じ仕事をしてるかどうかは、
わからないけれど。


人生は、予想がつかないからこそ、面白いんじゃあないかしら。

神童のなれの果て。

友達の息子(5歳)が、本を読むのが大好きだといいます。
「何の本が好きなの?」
と気軽な気持ちで訊いたら、
「あくたがわりゅうのすけの、とししゅん」
という答えが返ってきました。
面食らいました。

杜子春・くもの糸 (偕成社文庫3065)

杜子春・くもの糸 (偕成社文庫3065)

杜子春・トロッコ・魔術―芥川竜之介短編集 (講談社青い鳥文庫 (90‐1))

杜子春・トロッコ・魔術―芥川竜之介短編集 (講談社青い鳥文庫 (90‐1))

それは紛れもなく『芥川龍之介』の『杜子春』らしく。
どの版なのかは分からないけれど、どう分かりやすく改編されてるにしても、
小学校にあがる前の子が読むものではないような…。


見ていると、彼はハリーポッターもすいすいと読んでいました。
わあ。
うちの甥は同い年だけど、
ひらがなで書かれた自分の苗字を読むのにも5秒くらいかかるよ?


友達も友達のご主人も特に何を指導したわけでもないそうなんだけれど、
とにかく貪るように本を読むらしい。
前世か?前世で何かあったのか?


数日経ってからも、
ハリポタを読む5歳の男の子のいっしょけんめいな横顔が忘れられません。
しかし母にその話をしてみたところ、
「あら、あんたも5歳で漢字読んでたわよ」
とケロッと言われたのでした。
なに?!
「すごいコになるんじゃないかと思ってとにかく本ばっか与えてみたけど、
結局子どもなんてそんなもんよねぇ」
と、母はケラケラ。


そういえば、サンタさんからのプレゼントが
分厚い『アンの青春』と『女王クレオパトラ』と『マリーアントワネット』で、
幼心にとっても鼻白んだ年がありました。
(まあ、読んだけど…)


そして、そんなに早熟であったのにも関わらず、
今のわたしはまったく普通…
イヤ、普通以下…


でも、
幼い頃に読んだ本のことは今でも鮮明に憶えています。


指先を青紫に染めてみたり(安房直子『きつねの窓』)

きつねの窓 (ポプラポケット文庫 (051-1))

きつねの窓 (ポプラポケット文庫 (051-1))

空を見上げて「かげおくり」をしてみたり(あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』)
ちいちゃんのかげおくり (あかね創作えほん 11)

ちいちゃんのかげおくり (あかね創作えほん 11)

コロボックルに話しかけてみたり(佐藤さとる『だれも知らない小さな国』)
だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1  (講談社青い鳥文庫 18-1)

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1 (講談社青い鳥文庫 18-1)

現実と物語の境界線が今よりずっとずっとあいまいで、
そのぶん恐いことも多かったけど、
いちいちめいっぱい没頭した。
本を読むことは、今よりずっとずっと楽しかった。


読書は必ずしも必要なものではない、
本をたくさん読む人が教養に溢れていて思慮深いとは限らないし、
別に読みたくない人は読まなきゃいい、とわたしは思うのだけれど。
ただ、わたしにとっては、あの頃あの本を読んでいなければ、
今のわたしを形成している数ピースは確実に欠けていた、
という本が、たくさんあります。


あとは、
物語を読んでいれば寂しくなかった、
というのも読書の効力ではありました。
(今でもそういう面はありますが)


杜子春』の子はどんな子に育っていくのでしょうか。
これからたくさんの物語に出会える、あの子が少し、羨ましい。